10月4日、小坂町の康楽館で芝居見物

 10月4日、2日がかりの強風・暴風雨もどうやらおさまって、今日は全労済地区共済会の秋の旅行でした。行先は、小坂町の康楽館です。中学校のPTAの研修旅行でも行きましたし、仕事がらみでも何度か行きましたが、参加者が足りないのか、若木氏が誘ってくれたからでした。青森インターから高速にのりましたが、浪岡黒石平川大鰐の沿線沿いのリンゴの樹は真っ赤な身をたわわにならせていました。予想したよりは強風による落果の被害は少ないようにみえました。岩木山は頂上付近が雲をかぶっていましたが、落ち着いて収穫をまっている気配にみえました。

 今日の子規歳時は、
 亭ところどころ渓に橋ある紅葉哉 (1895年、明治28年10月4日) 
 子規は10月6日、漱石とともに道後に遊んでいます。温泉に一泊し、鴉渓の花月亭に憩いました。鴉渓はモミジともいい紅葉谷に模した名所で、いま鮒屋旅館の庭内に当ります。
 
 今日の魯迅箴言365日は、箴言87です。
 这是明亡后的事情。凡活着的,有些出于心服,
 多数是被压服恣的是汉奸;而话得最清高,
 被人尊敬的,是痛骂汉奸的逸民。
 后来自己寿终林下,儿子已不妨应试去了,
 而且各有一个好父亲。
 至于默默抗战的烈士,却很少能有一个遗孤。
 Zhè shì míng wáng hòu de shìqíng. Fán huózhe de, yǒuxiē chū yú xīnfú,
 duōshù shì bèi yāfú zì de shì hànjiān; ér huà dé zuì qīnggāo,
 bèi rén zūnjìng de, shì tòng mà hànjiān de yìmín.
 Hòulái zìjǐ shòu zhōng lín xià, érzi yǐ bùfáng yìngshì qùle,
 érqiě gè yǒu yīgè hǎo fùqīn.
 Zhìyú mòmò kàngzhàn de lièshì, què hěn shǎo néng yǒu yīgè yígū.
「これはいまではすでになくなってしまった話です。一般的にいえば、多少は心服する者はいますが、大多数は強制的に服従させられていた存在が売国奴という人たちです;その話は最も崇高で、尊敬の的でもありますが、それでも売国奴と陰口を庶民からたたかれるのです。彼らの息子はすでに仕官していて、その上それぞれ良い父となったあとで、自分の寿命が尽きるころには閑静な隠居所にいるのです。かつての戦争の烈士であったことは黙々として語らず、少なくとも一人の遺児も残すことはありません。」

 今日の論語一日一章は、論語11-22(論語巻第六 先進第十一篇 22章)です。
 子路問、聞斯行諸、子曰、有父兄在、如之何其聞斯行之也、
  冉有問、聞斯行諸、子曰、聞斯行之、公西華曰、由也問、聞斯行諸、子曰、有父兄在、求也問、聞斯行諸、子曰、聞斯行之、赤也退、故進之、由也兼人、故退之、
 Zilù wèn, wén sī xíng zhū, zǐ yuē, yǒu fùxiōng zài, rú zhī héqí wén sī xíng zhī yě,  
 rǎn yǒu wèn, wén sī xíng zhū, zǐ yuē, wén sī xíng zhī, gōng xī huá yuē,
 yóu yě wèn, wén sī xíng zhū, zǐ yuē, yǒu fùxiōng zài, qiú yě wèn,
 wén sī xíng zhū, zǐ yuē, wén sī xíng zhī, chì yě tuì, gù jìn zhī, yóu yě jiān rén,
 gù tuì zhī,
子路问,闻斯行诸,子曰,有父兄在,如之何其闻斯行之也,冉有问,闻斯行诸,子曰,闻斯行之,公西华曰,由也问,闻斯行诸,子曰,有父兄在,求也问,闻斯行诸,子曰,闻斯行之,赤也退,故进之,由也兼人,故退之,
子路問う、聞くままに斯れ行なわんや。子曰わく、父兄の在(いま)すこと有り、これを如何ぞ、其れ聞くままに斯れこれを行なわんや。冉有問う、聞くままに斯れ行なわんや。子曰わく、聞くままに斯れこれを行なえ。公西華が曰わく、由や問う。聞くままに斯れを行なわんやと。子曰わく、父兄の在すこと有りと。求や問う、聞くままに斯れ行なわんやと。子曰わく、聞くままに斯れこれを行なえと。赤や惑う。敢えて問う。子曰わく、求や退く、故にこれを進む。由や人を兼ね、故にこれを退く。」
子路が、「聞いたらすぐにそれを行いましょうか。」とたずねると、孔子は「父兄という方がいる。どうしてまた聞いてすぐそれを行えようか。」といわれた。冉有が、「聞いたらすぐそれを行いましょうか。」とたずねると、孔子は「聞いたらすぐにそれを行なえ。」といわれた。公西華はいった、「由(子路)が『聞いたらすぐにそれを行いましょうか』とたずねたときには、先生が『父兄といった方がおいでになる』といわれたのに、求(冉有)が『聞いたらすぐにそれを行いましょうか』とたずねたときには、先生は『聞いたらすぐにそれを行なえ』といわれました。赤(このわたくし)は迷ってしまいます。恐れ入りますがおたずねします。」孔子はいわれた、「求は消極的だから、それをはげましたのだが、由は人をしのぐから、それをおさえたのだ。」と。)