1月28日、みとりする人は皆寝て寒さ哉

 1月も今日で28日、あっという間の一週間でした。21日、22日と二日続けて東京まで新幹線に乗り、23日は仙台で会議、24日は徹夜で資料作り、25日はセミナー、26日と27日は札幌でヒアリングと講習会といった具合で、疲れがたまってしましました。でも充実し、満足した一週間でした。今日は休養したいと思います。
 み‐とり【見取り】
①みとること。見て知ること。(芸事などを)見て習い覚えること。
②見て写しとること。「―本」
③(「看取り」とも書く) 看病(カンビヨウ)。
④江戸時代、収穫高不同のため納米高の定めにくい土地を、毎年坪刈(ツボガリ)して納米高を定めること。見取検見(ケミ)。
⑤見取小作の略。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言201です。
 中国现在的人心中,不平和愤恨的分子太多了。不平还是改造的引线,但必须先改造了自己,再改造社会,改造世界;万不可单不平。至于愤恨,却几乎无用处。
 Zhōngguó xiànzài de rén xīnzhōng, bùpínghé fènhèn de fēnzǐ tài duōle. Bùpíng háishì gǎizào de yǐnxiàn, dàn bìxū xiān gǎizàole zìjǐ, zài gǎizào shèhuì, gǎizào shìjiè; wàn bùkě dān bù píng. Zhìyú fènhèn, què jīhū wú yòngchù.
 「中国の今の人の心の中で、穏やかではない憤慨する分子が多すぎます。不公平のやはり(それとも)改造する導火線、しかし先に必ず自分を改造しなければならなくて、再改造社会、世界を改造します;万は単に不公平になってはいけません。憤慨するのとなると、ほとんど用途がありません。」

 今日の論語一日一章は、論語15-10(論語巻第八 衛霊公第十五篇 10章)です。
 子貢問爲仁、子曰、工欲善其事、必先利其器、居是邦也、事其大夫之賢者、友其士之仁者也、
 Zi gòng wèn wèi rén, zǐ yuē, gōng yù shàn qí shì, bì xiān lì qí qì, jū shì bāng yě, shì qí dàfū zhī xiánzhě, yǒu qí shì zhī rénzhě yě,
 (子贡问为仁,子曰,工欲善其事,必先利其器,居是邦也,事其大夫之贤者,友其士之仁者也)
 「子貢、問うて曰わく、一言にして以て終身これを行なうべき者ありや。子曰わく、其れ恕か。己れの欲せざる所、人に施すこと勿かれ。」
 (子貢がおたずねしていった、「ひとことだけで一生行っていけるということがありましょうか。」孔子はいわれた、「まあ、恕(思いやり)だね。自分の望まないことは人にしむけないことだ。」と。)