1月7日、寒けれど富士見る旅は羨まし

 今日は1月7日、土曜日で新年句会の日です。体調も悪くなく、気力も充実しています。なにより日課をベースに勉強と執筆それに作句を続けています。あとは、いい小説が書ければそれで充分です。
 今日の昼前に孫が東京から次男に連れられてやってきます。小3の孫がどんな人間に育っていくのかその成長ぶりをみるのも楽しみです。年に2度しか会えないのですから。勉強もスポーツも普通でいいから、健康でいてほしいと願っています。
 表題の句は、子規が明治29年1月7日に上京した漱石が松山へ帰るはなむけの句です。子規はこの後、富士もふるさとの松山へ帰ることなく生涯を終えています

 今日の魯迅箴言130は、箴言68です。
 历史上都写着中国的灵魂,指示着将来的命运,只因为涂饰太厚,废话太多,所以很不容易察出底细来。正如通过密叶投射在莓苔上面的月光,只看见点点的碎影。但如看野史和杂记,可更容易了然了,因为他们究竟不必摆史官的架子。
 Lìshǐ shàng dū xiězhe zhōngguó de línghún, zhǐshìzhe jiānglái de mìngyùn, zhǐ yīnwèi túshì tài hòu, fèihuà tài duō, suǒyǐ hěn bù róngyì chá chū dǐxì lái. Zhèngrú tōngguò mì yè tóushè zài méi tāi shàngmiàn de yuèguāng, zhǐ kànjiàn diǎndiǎn de suì yǐng. Dàn rú kàn yěshǐ hé zájì, kě gēng róng yì liǎo ránle, yīnwèi tāmen jiùjìng bùbì bǎi shǐguān de jiàzi.
 歴史書には中国の魂が記してあり、将来の運命を指示しているが、ただ分厚い修飾や無駄な話が多すぎるため、真相が見えづらい。まるで、茂みを通して苔の地面に差し込む月光のように、砕け散った明かりが点々と見えるだけである。ところが民間の史書や雑記を読むと、かえってわかりやすい。というのも、その書き手たちは結局、さほど士官ぶって書く必要はなかったからである。