3月1日、宇治川やほつりほつりと春の雨

 3月1日、今日から新しい気持で小説にとりかかります。26日の小野允雄さんの葬儀で北狄の編集長に同人費の未払い分を渡してすっきりしました。
 真宗の全集本の675頁の第1巻目の校正を終え、こころの錘がとれた感じです。

 今日の魯迅箴言130は、箴言122です。
 如果貌似讽刺的作品,而毫无善意,也毫无热情,只使读者觉得一切足取,也一无可为,那就并非讽刺了,这便是所谓「冷嘲」。
 Rúguǒ màosì fèngcì de zuòpǐn, ér háo wú shànyì, yě háo wú rèqíng, zhǐ shǐ dúzhě jué dé yīqiè zú qǔ, yě yī wú kě wéi, nà jiù bìngfēi fèngcìle, zhè biàn shì suǒwèi `lěng cháo'.
 もし、諷刺の貌をもった作品に、これぽっちの善意も、情熱もなく、ただ読者に、一切の世事はひとつとして取るに足りず、ひとつとして為すに値しないと思わせるだけだとしたら、それはまったく諷刺ではなく、いわゆる「冷嘲」である。