魯迅箴言日記 2020/05/18 馬関迄帰りて若葉めづらしや

 今日は5月18日、月曜日です。今日は下北出張の日です。久しぶりの泊まりの出張です。

 

 今日の子規歳時は、「馬関迄帰りて若葉めづらしや」(明治28年)です。従軍した子規は5月15日帰国の途につきましたが、17日船上で病となり、吐血が続いて、18日漸く下関につきました。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130の122「もし諷刺の貌をもった作品に、これっぽっちの善意も、情熱もなかったら」です。

 (原文)

  如果貌似讽刺的作品,

     而毫无善意,也毫无热情,

     只使读者觉得一切世事,

     一无足取,也一无可为,

     那就并非讽刺了,这便是所谓「冷嘲 」。

 (拼音)

  Rúguǒ màosì fèngcì de zuòpǐn,

  ér háo wú shànyì, yě háo wú rèqíng,

  zhǐ shǐ dúzhě juédé yīqiè shìshì,

  yī wú zú qǔ, yě yī wú kě wéi,

  nà jiù bìngfēi fèngcìle, zhè biàn shì suǒwèi `lěng cháo'.

 (訳文)

  もし諷刺の貌をもった作品に、これっぽっちの善意も、情熱もなく、

  ただ読者に、一切の世事はひとつとして取るに足りず、

  ひとつとして為すに値しないと思わせるだけだとしたら、

  それはまったく諷刺ではなく、いわゆる「冷嘲」である。