2月18日、小説を書いては書いて春を待つ。

 今日は2月18日、月曜日です。今日は午前と午後、昼食休憩をはさんで、浜田小学校で県環境政策課の依頼で、環境出前講座の講師です。5年生の2クラスずつの2回にわけて省エネゲームの授業をもう一人の女性講師と一緒に勤めました。午前は地球温暖化の説明をするA先生、午後は省エネゲームをすすめるB先生の役でした。終わって、新年度からの同ゲームの教材のシナリオについての検討会もやりました。
 4時に終わって、4時25分からアウガの小会議室で月曜会でした。今日は、成田先生が風邪で休んだため、僕一人で主に電話がけをやりました。5時半に終わり、美濃さんを迎えに自宅へ行きました。そして、6時から労働福祉会館で行われた金澤先生の憲法学習会に出ました。憲法を守る会の役員会に出て、金澤先生と美濃さんを送り、家に着いたのが7時50分でした。
 女房の作ってくれた夕食を食べ、読み残しの東奥日報と朝日を読んで、お茶をのみ、部屋のストーブの石油をタンクに入れ、机に向かって落ち着いたら、10時になっていました。

 今日の子規歳時は、「小説を草して独り春を待つ」です。
 僕の今日の川柳は、「小説を書いては書いて春を待つ」です。

 今日の魯迅箴言は、箴言No49「且介亭雑文二集・名人和名言Qiě jiè tíng záwén èr jímíngrén hé míngyán 且介亭杂文二集/名人和名言 」です。
  谁都愿意听听名人的指点,
  但这时就来了一个问题;
  听博识家的话好呢?
  解答似乎很容易;都好.
  自然都好;
  但我由历听了两家的种种指点以后,
  却觉得必须有相当的警戒。
  因为是;
  博识家的话多浅,
  专门家的话多悖的。
 Shéi dōu yuànyì tīng tīng míngrén de zhǐdiǎn,

 dàn zhè shí jiù láile yīgè wèntí;

 tīng bóshì jiā dehuà hǎo ne?

 Jiědá sìhū hěn róngyì; dōu hǎo.

 Zìrán dōu hǎo;

 dàn wǒ yóu lì tīngle liǎng jiā de zhǒngzhǒng zhǐdiǎn yǐhòu,

 què juédé bìxū yǒu xiāngdāng de jǐngjiè.

 Yīn wéi shì;

 bóshì jiā dehuà duō qiǎn,

 zhuānmén jiā dehuà duō bèi de.

 誰しも名の知れた人の教えに耳を傾ける。
 しかし、ここに一つの問題が生じる。
 博識家の話をきくのがいいか、
 それとも、専門家の話を聞くのがいいかだ。
 その答えは簡単そうに見える。どちらも好い。
 無論、どちらもよいのだが、
 ただ、私は双方からいくつかの教えを聞いた経験から、
 それ相応の心構えが必要だと思う。
 なぜなら、
 博識家の話は底の浅いものが多く、
 専門家の話は独り善がりが多いからだ。