魯迅箴言日記 2020/02/12 油画の極彩色や春の宿

 今日は2月12日、水曜日です。今日は輝代さんのおひさまクリニックの日です。まず、生活クラブ生協の購入票をもって風晴れさん宅へ寄り、その後、クリニックで輝代さんを降ろし、そのあしで、GEAの古川事務所へ行き、荷物を降ろし、3・2の会場費を払いにアウガへ行きましたが、休館日で1階の県信用で支払いをすませ、3階の環境政策課で駐車券の任印をしてもらい、西沢課長の当日参加を要請しました。そのあと古川の駐車場へ車をとめ、また事務所に戻り、会場費のまとめをしました。

 ちょうど1時に輝代さんから診察が終わったとの電話が入ったので、駐車場へ走り、橋本へいき、一緒にホテル青森のランチにしました。ゆっくり昼食を食べ、2時半にホテルを出て、そのあと金沢生協で買物をして3時45分に帰宅しました。

 4時から、GEAの会計整理をし、夕食後、15日の理事会の議案書書きをしました。一応、経過報告をでかしたのが、午前5時半でした。

 

 今日の子規歳時は、「油画の極彩色や春の宿」(明治32年)です。「小日本」の編集発行を任された子規は、当時画学生の中村不折に挿絵を描かせたのでした。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130の26です。

 (原文)

 人们灭亡于英雄的特别的悲剧者少,

    消磨于极平常的。

    或者简直近于没有事情的悲剧者却多。

 (発音・拼音)

 Rénmen mièwáng yú yīngxióng de tèbié de bēijù zhě shǎo,

 xiāomó yú jí píngcháng de.

 Huòzhě jiǎnzhí jìn yú méiyǒu shìqíng de bēijù zhě què duō.

    (日本語訳)

 人々は、英雄のような特別の悲劇に身を滅ぼす者は少なく、

 きわめて日常的か、さもなければ何事もなかったかのようにみえる悲劇に、

 身を消耗させる者のほうが多いのだ。