魯迅箴言日記 2020/06/08 歌書俳書紛然として昼寝かな

 今日は6月8日、月曜日です。今日は、朝3時に寝て、8時に起き、9時に八戸へ向い、4時に帰宅し、それから日課をやり、5時に市民図書館へ行き、本を返却し、とり平に寄って戻り、夕食後、再び、日課北狄391号の校正をしました。

 

 今日の子規歳時は、「歌書俳書紛然として昼寝かな」(明治29年)です。人より余計に働いて僅かの給金をもらう、ことが子規のモットーでした。毎月、2~3円の書物を買いたいともらしていたそうですが、死後の残された蔵書は2,360余冊でした。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の13日目「きわめて日常的な、」です。

 (原文)

  极平常的,

       或者简直近于没有事情的悲剧,

       正如无声的言语一样,

      `非由诗人画出它的形象来,

       是很不容易觉察的。

       然而人们

       灭亡于英雄的特别的悲剧者少,

       消磨于极平常的,

       或者简直近近于没有事情的悲剧者却多。

 (拼音)

  Jí píngcháng de,        
  huòzhě jiǎnzhí jìn yú méiyǒu shìqíng de bēijù,        
  zhèngrú wúshēng de yányǔ yīyàng,      
  fēi yóu shīrén huà chū tā de xíngxiàng lái,        
  shì hěn bù róngyì juéchá de.        
  Rán ér rénmen        
  mièwáng yú yīngxióng de tèbié de bēijù zhě shǎo,        
  xiāomó yú jí píngcháng de,        
  huòzhě jiǎnzhí jìn jìn yú méiyǒu shìqíng de bēijù zhě què duō.
  極めて日常的な、
  さもなくば、なにごともなかったような悲劇にも、
  まさに声のない言葉と同様に、
  詩人によってその形象が描き出されない限り、
  容易にきづかられないものである。
  しかして、ひとびとは、
  英雄のような特別の悲劇に身を滅ぼす者は少なく、
  極めて日常的か、さもなくば、
  なにごともなかったように見える悲劇に身を消耗させる者のほうが多いのだ。