今日は12月2日、水曜日です。今日は生協の日なので、いつものように11時半前に風晴さん宅に購入票を置いて、輝代さんを月1回のクリニックへ送っていきました。
今朝の5時までかかって、北狄393号の「二十七年目の午睡」(24枚)を完成させ、斎藤さんへメールで送りました。5時15分に3カ月ぶりに鶴亀温泉へ行きました。稲葉さんが軽トラで先に来ていました。温泉、サウナ、水風呂に入りましたが、露天風呂は寒そうなので止めることにしました。病院と買い物からもどると午後2時になっていました。そのあと2時間かけて、北狄393号の校正原稿を配りました。蓬田の倉谷さんだけ郵送しました。8人の同人宅を回り、家に戻ったのは6時過ぎでした。
北狄293号の年内発行のメドがついたのと、160頁を超える大部となります。執筆者も13人とこれまでになく、多くなりました。秋村さんの復帰が大きいです。青も八木さんの「縄文ルネサンス(後篇)」は巻頭にしたいと思っています。今回は校正ミス、編集ミスがないよう3校までやるつもりです。
今日の子規歳時は、「山茶花に新聞遅き場末哉」(明治31年)です。
第18条〔奴隷的拘束・苦役からの自由〕
何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
今日の魯迅箴言は、箴言365日の180日目「生物をみると、」です。
原文;
看生物,是一刻专化,往往要灭亡的。未有人类以前的许多动植物,就因为太专化了,失其可变性,环境一改,无法应付,只好灭亡。
拼音;
訳文;
生物をみると、特殊化すると、往々にして滅亡するものです。人類発生以前の多くの動植物は、あまりにも特殊化したために、その可変性を失い、環境が変わると、適応できなくなって、滅亡する以外にはなかった。