今日は5月24日、月曜日です。今日は朝から新報の配達の準備をして、集金の準備を行ないました。まず、10時に郵便局に11部の後納便の差出に行きました。次に、東部、東南部の仕分けを行ない、次に東南部、中央部、県庁と西部の純に区域ごとに仕分けを行なって、出かけたのは12時15分でした。東部と東南部を配り終えて笹森先生宅に着いたのは午後の1時半でした。一緒に浪打港町の太田に行ってラーメンを食べました。全部配り終えて帰宅したのは、5時10分でした。クタクタでした。
今日の子規歳時は、「蚊を打って軍書の上に血を印す(明治29年、1896年)」です。
第76条〔司法権・裁判所、特別裁判所の禁止、裁判官の独立〕
(1)すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
(2)特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
(3)すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
今日の魯迅箴言は、箴言365日の第349日目「好きでやる読書は、麻雀好きが、」です。
原文;
嗜好的读书,该如爱打牌的一样,天天打,连续的去打,有时被公安局捉去了,放出来之后还是打。诸君要知道真打牌的人的目的并不在蠃钱,而在有趣。牌有怎样的有趣。牌有怎样的有呢,…… 它妙在一张一张的摸起来,永远变化无穷。我想,凡嗜好的读书,能够手不释卷的原因也就是这样。他在每一叶里,都得着深厚的趣味。
拼音;
訳文;
好きでやる読書は、麻雀好きが、昼も夜もなく打ちつづけ、公安局に捕まろうとも、出て来るなりまた打つのと似ています。皆さん、真の麻雀打ちの目的は金稼ぎにではなく、愉しみにあるのです。麻雀の愉しみとはどんなものでしょうか。……その妙味は、牌を一つ一つと積もってくることによって、どこまでも変化が尽きないことにあるようです。好きでやる読書が、書物から手を離せなく理由も、似たようなものではないでしょうか。読者は一頁一頁のなかに、味わい深い面白味を汲みとっているのです。