魯迅箴言日記 2022/12/30 漱石が来て虚子が来て大三十日(明治28年、1895年)

 今日は12月30日、金曜日です。29日からの年末の休日の二日目です。今朝は4時に起きて日課をやり、8時半に一応終えて、9時半に家をでました。北狄401号を届けにつがる市稲垣町繁田源の渋谷萬作さんのところへ向かいました。1時間かけて25冊届け渡し、すぐに引き返して浪岡女鹿沢の海老名鉄芳さんの所へ向かいました。毎年、リンゴ箱持参で訪問し、箱いっぱいにリンゴをもらってきます。常盤の蕎麦屋で昼をご馳走になり、役場前の喫茶店で珈琲を飲んで、リンゴのこと、農業のこと、政治のこと、世界情勢までいろんな話をしながら、3時過ぎに浪岡を発ちました。帰りに、蓬田の倉谷さんの家に寄り、401号10冊を届けました。歩行に不自由さが残る倉谷さんも萬作さんもいたって元気でした。家に着いたのが5時半でしたので、疲れました。

 今日の子規歳時は、「漱石が来て虚子が来て大三十日(明治28年、1895年)」です。この句の根底に溢れる「情」こそ、子規の魅力である。「漱石が来たぞ、虚子が来たぞ」と言って喜ぶ子規のことを皆愛していたことが納得できる句である。そして明日はいよいよ大晦日となる。旧歳時記は、「掛乙の曰く主人の曰くかな」。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-89「子どもが成長しても才能がないようなら、」です。

 孩子长大,倘无才能,可寻点小事情过活,

    万不可去做空头文学家或美术家。

 子どもが成長しても才能がないようなら、小さな仕事を探して活きるとよい。

 万が一にも、中味のない文学家や美術家になってはならない。