魯迅箴言日記 2022/12/29 行く年を母すこやかに我病めり(明治29年、1896年)

 今日は12月29日、木曜日です。今日は福士正一おどらでく道路劇場の踊り納めの日です。6時開場、7時開演なのに、早朝から日課をやり、8時半に家を出て、輝代さんの弟の50回忌と母の23回忌の法要があり、常光寺へ行き、その足で三上家へお歳暮を届けに行き、イトウヨーカ堂で隼君のクリスマスプレゼントを買い、三男の家に届けました。帰りに金沢生協で買い物をして家に戻ったのは午後1時半を過ぎていました。そんなわけで、遅い昼食後、すこし自室で作業して、5時半過ぎに家をでて、45分には安田の稽古場についてしまいました。丸木イスに腰掛けて待つこと1時間15分。ようやく開演の時間となりましたが、10分遅れで正一さんの舞踏が始まりました。8時までの約50分間、あやしげな踊り、おどろおどろした顔の表情と目の動きにつられて、彼の身体全体で発する、無垢な魂の叫びを、しなやかな手脚胴体のとぎれることのない動きに魅了された空間が閉じたとき、おもわず涙したのでした。その感動を自分のものだけにしようとして、懇親会に出たい気持ちを制して、2千円の木戸賃を瓶にそっと入れて、おどらでく劇場をあとにしたのでした。

 今日の子規歳時は、「行く年を母すこやかに我病めり(明治29年、1896年)」です。子規の左腰の痛みは、結核脊椎カリエスによるものだと判明したが明治29年のことでした。自分に残された時間にくらべ、自分がやるべきことの多さに苛立ちを覚えながらの闘病生活だったようです。「我病めり」の悲愴のなかにあって、「母すこやかに」の安堵に寄り添おうとした、名句です。旧歳時記は、「詩百篇君去って歳行かんとす」です。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-90「希望は、もともとあるものと、ないものとも言えない」です。

 希望是本无所谓无的。

    这正如地上的路;

    其实地上本没有路,走的人多了,也便成了路。

 希望は、もともとあるものとも、ないものとも言えない。

 それはまさに地上の路のようなものだ。

 本来、地上に路はなく、歩く人が増えれば、そこが路になるのである。