魯迅箴言日記 2023/01/29 外套を着かねつ客のかかへ走る(明治30年、1897年)

 今日は1月29日、日曜日です。今日は、朝から雪が強く降っています。昨日から50センチも降りました。新雪で雪藪に入るとすぐにぬかります。だから、車は車庫にいれたままです。除排雪は来ません。家でおちついて日課の勉強三昧です。資本論・経済学関係だけでも、マルクス資本論」、斎藤幸平「カールマルクス資本論、人新世の資本論」の2冊、高橋洋一の「戦後経済史は嘘ばかり」、岩井克人ヴェニスの商人資本論」、5科目を勉強し、このほか漱石三四郎、虚子「俳句への道」、角田光代「笹の舟が海をわたる」、高木仁三郎プルトニウムの恐怖」、核燃関係では「続下北半島核景色」に高木仁三郎核燃料サイクル施設批判」の11課を毎日読み、「魯迅箴言日記」と「カバのため息」の二つのブログで、「夏井いつき子規365日」、「論語」、「魯迅箴言130日」の勉強も続けています。合計14課の日課をやり続け、小説を書き、川柳を詠んでいます。

 今日の子規歳時は、「外套を着かねつ客のかかへ走る(明治30年、1897年)」です。

 外套も着かねつ飛出したのは、何故か。客とはだれか。気になるところです。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-124「悲劇は、人生の価値あるものを破壊してみせ、」で。す。

    悲剧将人生的有价值的东西毁灭给人看,

    喜剧将那无价值的撕破给人看。

    讥讽又不过是喜剧的变简的一支流。

    但悲壮滑稽,却都是十景病的仇敌,

    因为都有破坏性,虽然所破坏的方面各不同。

 悲劇は、人生の価値ある物を破壊してみせ、

 喜劇は、その価値なき物をひきさいてみせる。

 風刺もまた、手短にした喜劇の一支流にすぎない。

 しかし、悲壮も滑稽も、みな十景病の仇敵である。

 なぜなら矛先は異なっているが、いずれも破壊性をもっているから。