孔子は本気で日本へ行くことを考えたのだろうか

 論語の公冶長第五の7章に次のような一節がある。
「子曰、道不行。乗桴浮于海。従我者其由與。子路聞之喜。子曰、由也好勇過我。無所取材。」
 子曰く、「道行はれず。桴に乗りて海に浮ばん。我に従ふ者は其れ由か。」子路之を聞きて喜ぶ。子曰く「由や勇を好むこと我に過ぎたり。取り材る所なし。」
 これの一般的な訳は以下の通りである。
 孔子が「世にわしを用いる者なく、わしの道が行われないから、桴に乗って海に浮かんで海外へ行こうと思うが、その時にわしに従って行く者は由(子路)だけであろう」という。子路はこれを聞いて先生が数多い門人の中で己一人を挙げられたことを喜んだ。孔子がこれを諭して曰われるには、「由は勇を好むことはわしに優れているが、道理を裁かって義にかなうようにすることができない。」

 この章は、吉川幸次郎の『中国の知恵』によれば、弟子の子路の性格をあらわしたもので、「世の中のありさまに失望した孔子が、おれはいっそのこと筏にのって、東の海に舟出したい、そのとき、おまえはおれについて来てくれるだろうな、といったのも、子路である。そうしてそのときも、はずみすぎた返事をして、けっきょくは先生にひやかされている。その筏の木を、きみはいったいどこで探してくるつもりだね」と。

 和辻哲郎の『孔子』にも、「孔子顔回孔子の弟子)のように讃めはしなかった。しかし子路を愛することは決して顔回を愛するに劣らなかった。」とあるように、「率直で、一本気で、気の強い、そうして良心的な男」であったようだが、「単純すぎて、理解の行き届かないところがある」性格を示す例として、この章をあげている。

 したがって、孔子がこの章で、本気で当時の政治、道が行われないことに絶望して日本に行こうとしていたのかどうかはわからない。
 孔子がこのままでは、舟に乗って海外へ脱出しなけばならないくらい切羽詰まった思いで、弟子を鼓舞しようとしたのだけは間違いがない。