今日の論語一日一章「朝聞道、夕死可矣」

 今日の論語一日一章は、第4篇「里仁第四」の第8章「朝聞道、夕死可矣」(朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり)です。
 これの漢文原文はこうです。
 「子曰、朝聞道、夕死可矣。」
 また、これの読み下し文はこうなります。
 「子曰く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。」
 さらに、この文の中国語簡体表記はこうなります。
 「子曰,朝闻道,夕死可矣。」
 この章の日本語訳はこうです。
 「孔子はいわれた。君子父子夫婦長幼の間から日常の行為に至るま で事々物々の間には当然行うべき道理がある。この道理を真に悟り 得るならば、生きては道理に順い、死んでも心が安らかで遺恨はな い。朝に道を聞いたならば、夕に死んでも差し支えないのである、 と。」
 今日の語句・語彙はこうなります。
 朝に聞かば夕に死す;「朝夕」とは時間の甚だ短いことをいうのである。「聞く」ことは耳で聞くのではなくて心で悟るのである。
 可なり;心が安くて恨みのないこと。
 この章は、人は道を開くべきものであることを述べた章である。
 貝原益軒の死ぬ時の詩に「平成の心曲誰有ってか知らん。常に天威を畏れて欺くなからんと欲す。存順没寧克くせずと雖も、朝聞夕死豈悲しと為さんや。」というのがある。「存順没寧」は張載の西銘の語で、本章の朱子の注の「生順死安」の本づくところである「朝聞夕死」は本章の語を用いたのである。