一隅を挙げ、三隅をもって反す

 福島第一原発から50キロはなれた福島県飯舘村はこれまで2011年3月11日の東日本大震災の日まで、原発マネーといわれるお金を東京電力や政府から交付されていませんでした。
人口8千人弱の飯舘村原発に依存しない村として酪農を中心とした農業を主産業に生計をたてていたのです。それが地震原発事故に見舞われ、3月15日になって北西の風にのって大量の放射能をもつ放射性物質が空から降りてきたといわれています。
3月13日の原発での水素爆発による放射能汚染を知らされないまま、原発立地住民の避難者の受け入れをしていた飯舘村でしたが、事故が発生してから40日後の2011年4月22日になって初めて政府の指示で全損避難を開始しました。そして、全村避難が完了したのは2011年6月22日のことだったのです。いまでも、立ち入り禁止区域は残り、それ以外の地域では、日中は避難先から自力で家に戻り、荒れ放題の農地を見回ったり、先祖の墓の手入れをしているものの、夜には避難先に戻らなければならないという生活が続いています。仮に、除染が進んで、居住困難地域の指定が解除されても、自宅に戻るのは老人だけだといわれています。子どもや若い世代の人たちが帰還帰宅するのは難しいといわれています。
今日の魯迅の言葉は、「もし獅子なら、どんなに太ったかを誇るのもよかろう。だが豚や羊なら、太るのはむしろよくない兆候である。我々はいま、自分たちがどちらに似ていると思っているのだろうか?」(惝是狮子,自夸怎样肥大是不妨事的,但如果是一口猪或不知道我们自己觉得现在好像是什么了。)である。ライオンが太っているのを自慢してかまわないが、豚や羊なら太るのはよくない兆候だと魯迅はいいます。我々は自分たちがライオンと豚や羊のどちらに似てると思っているのか、皮肉っぽく問うています。
 今日の論語は同じ述而篇の第8節です。「子曰く、憤せずんば啓せず、一隅を挙げて挙げて三隅を以て反らざれば、即ち復せざる也。」これの和訳は、「孔子が言った。『あることを求めて分からぬため、心がふくれ上がるようにならなければ指導しない。口に出かかっても言葉が見つからずむずむずするようでなければ、言葉で教え示さない。一隅を挙げて説明すれば、他の三隅をもって答えるようでなければ、二度と教えない。』と。」ここで孔子は、生きているかぎりは、自分を生かし、真実に近づき、真実の生を生きようとつとめることこそ、人間のつとめであり、それこそが人の生きがいだともいっているのです。