人口8千人弱の飯舘村は原発に依存しない村として酪農を中心とした農業を主産業に生計をたてていたのです。それが地震と原発事故に見舞われ、3月15日になって北西の風にのって大量の放射能をもつ放射性物質が空から降りてきたといわれています。
3月13日の原発での水素爆発による放射能汚染を知らされないまま、原発立地住民の避難者の受け入れをしていた飯舘村でしたが、事故が発生してから40日後の2011年4月22日になって初めて政府の指示で全損避難を開始しました。そして、全村避難が完了したのは2011年6月22日のことだったのです。いまでも、立ち入り禁止区域は残り、それ以外の地域では、日中は避難先から自力で家に戻り、荒れ放題の農地を見回ったり、先祖の墓の手入れをしているものの、夜には避難先に戻らなければならないという生活が続いています。仮に、除染が進んで、居住困難地域の指定が解除されても、自宅に戻るのは老人だけだといわれています。子どもや若い世代の人たちが帰還帰宅するのは難しいといわれています。