3月3日、首途やきぬきぬをしむ雛もなし

 今日、3月3日はひなまつりです。玄関の靴箱棚の上に雛人形が飾ってあります。おふくろがそろえた人形を女房があちこちしまってあったのを出してきて飾ったのです。これらとは別にまとまった雛人形もあるのですが、それを飾るのは来年にすることにしたようです。それでも玄関の何種類もの雛人形はそれなりに見事なのです。
 子規ほど門下のひとをもてなした人はいないようです。左千夫に茶菓でもてなし、食事時には酒好きの門人には酒がふるまわれたとのことです。ふだんは酒をつつしむように訓戒をたれていたようですが。明治28年3月3日、子規は日本新聞社で従軍を志願して、この日、送別会が開かれたようです。
 かど‐で【門出・首途】
旅や出陣などのため自分の家を出発すること。たびだち。かどいで。万一四「赤駒が―をしつつ出でかてに」。「人生の―」

 今日の魯迅箴言365日は、箴言236です。
 中国相传的成法,谬误很多;一种是钴离,不受影响。一种是教给他恶本领,以为如此才能在社会中生活。
  Zhōngguó xiāngchuán de chéng fǎ, miùwù hěnduō; yī zhǒng shì gǔ lí, bù shòu yǐngxiǎng. Yī zhǒng shì jiào gěi tā è běnlǐng, yǐwéi rúcǐ cáinéng zài shèhuì zhōng shēnghuó.
 「中国に伝わる古いやり方には、間違いが多い。一つは子どもを閉じ込めることで、社会から隔離すれば、影響を受けずに済むと考えている。一つは悪い才能を教え込むことで、社会を生き抜くには、そうするほかないと考えているのだ。」

 今日の論語一日一章は、論語16-3(論語巻第八 李氏第十六篇 3章)です。
 孔子曰、禄之去公室五世矣、政逮大夫四世矣、故夫三桓之子孫微矣、
 Kǒngzǐ yuē, lù zhī qù gōng shì wǔ shì yǐ, zhèng dài dàfū sì shì yǐ, gù fū sān huán zhī zǐsūn wēi yǐ,
 (孔子曰,录之去公室五世矣,政逮大夫四世矣,故夫三桓之子孙微矣,)
 「孔子曰わく、禄の公室を去ること五世なり。政の大夫に逮(およ)ぶこと四世なり。故に夫(か)の三桓の子孫は微なり。」
 (孔子がいわれた、「魯の国では、爵禄を与える権力が公室を離れてから五代になるし、政治が大夫の手に移ってから四代になる。だからあの三桓の子孫も衰えたのだ。」と。)