4月24日、桜散って山吹咲きぬ御法事

 今日は4月24日、月曜日です。三男の嫁さんが、整形外科の診察を受けるということで昼前に孫と一緒に、時間休をとった三男に連れられて孫がくるということで、地主の会の総会議案の作成と3時からの月曜会の準備をしました。「日米原子力協力協定と日本のプルトニウム政策」国際会議の報告をすることになっており、原告団への報告書もつくりました。

 今日の魯迅箴言365は、箴言24です。
 钱这个字很难听,或者要被高尚的君子们所非笑,但我总觉得人们的议论是不但昨天和今天,即使饭前和饭后,也往往有些差别。
 Qián zhège zì hěn nántīng, huòzhě yào bèi gāoshàng de jūnzǐmen suǒ fēixiào, dàn wǒ zǒng jué dé rénmen de yìlùn shì bùdàn zuótiān hé jīntiān, jíshǐ fàn qián hé fàn hòu, yě wǎngwǎng yǒuxiē chābié.
 金銭という言葉は、上品な言葉ではありません。高尚な君子たちからは馬鹿にされるかもしれません。しかし、私はいつも思うのですが、人間の議論というものは、昨日と今日どころか、食前と食後ですらも、往々にして違いがあるものです。