魯迅箴言日記 2020/06/19 一群の鮎眼を過ぎぬ水の色

 今日は6月19日、金曜日です。今日は曇りの日です。昨日は4時半から7時半まで3時間、風晴さんと駅ビルのキリンビアホールで飲みました。一番搾りプレミア、ハーフ&ハーフ、黒生、ハートランドなど、みなどれもこくがあって、喉ごしがマイルドでした。うまいなと思うビールを久しぶりに飲みました。今日も5時までいろいろやったあとで、5時半過ぎにブルーノートに行くことにします。

 

 今日の子規歳時は、「一群の鮎眼を過ぎぬ水の色」(明治31年)です。子規が生まれた松山の家の庭にはヒョンの木があったようです。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の24日目「金銭という言葉は、」です。

 (原文)

  钱这个字很难听,

       或者要被高尚的君子们所非笑,

       但我总觉得人们的议论

       是不但昨天和今天,

       即使饭前和饭后,

       也往往有些差别。

 (拼音)

       Qián zhège zì hěn nántīng,        

       huòzhě yào bèi gāoshàng de jūnzǐmen suǒ fēixiào,        

       dàn wǒ zǒng juédé rénmen de yìlùn        

       shì bùdàn zuótiān hé jīntiān,        

       jíshǐ fàn qián hé fàn hòu,        

       yě wǎngwǎng yǒuxiē chābié.

 (訳文)

       金銭という言葉は、上品な言葉ではありません。

  高尚な君子たちからは、馬鹿にされるかも知れません。

  しかし、私はいつも思うのですが、人間の議論というものは、

  昨日と今日どころか、

  食前と食後ですらも、

  往々にして違いがあるものです。