1月5日、鶯の宿に投げ込む名札かな

 今日は2018年1月5日です。今日は、今年最初の金曜日です。1882年(明治15年)子規は松山中学時代、半紙を切って名刺をつくり、それを先生の家の柱へ、飯粒を持って行って貼り付けたということです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言279です。
 我向来的意见,是以为倘有慈母,或是幸福,然若生而矢母,却也并非完全的不幸,他也许倒成为更加勇猛,更无挂碍的男儿的。
 Wǒ xiànglái de yìjiàn, shì yǐwéi tǎng yǒu címǔ, huò shì xìngfú, rán ruòshēng ér shǐ mǔ, què yě bìngfēi wánquán de bùxìng, tā yěxǔ dào chéngwéi gèngjiā yǒngměng, gèng wú guà'ài de nán'ér de.
 私の前からの意見では、もし慈母がいれば幸福であるかも知れないが、しかしもし生れて母を失ったとしても、それが全くの不幸だというわけではなく、その子供はかえってますます勇猛になり、後に心をひかれる心配のない男児になるかもしれない、と考えていたからである。