今日は1月7日、日曜日です。明治26年、1893年正月、根岸に新居を構えた子規でしたが、1896年、明治29年の正月に赴任先の松山中学の冬休みを利用して上京していた夏目漱石と会い、7日に松山へ帰る漱石にはなむけの句としたのが標題の句です。結局、子規はその後、富士山も故郷の松山の山河を見ることはなかったのです。「羨まし」に子規の実感がこもっています。
日本国憲法について、朝、起きて考えています。生命を賭すと賀状に書いたものの、どうするかが課題です。
広辞苑によれば、日本国憲法は、①(公布)1946年11月3日、②(施行)1947年5月3日、③(基調)国民主権、平和主義、基本的人権の尊重、④(特色)象徴天皇、国権の最高機関としての国会、行政権の主体たる内閣の国会に対する連帯責任、戦争の放棄、国民の権利義務に関する規定、独立した司法制度、地方自治の確立、となっています。
憲法第1条で、天皇の地位として象徴天皇が定められ、主権については明治憲法とは異なり、国民主権が明記され、天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づくものとしています。
憲法9条では、平和主義の原則として、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を謳っています。9条の第1項は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決手段として、永久にこれを放棄する。」となっており、同第2項は、「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」となっています。
憲法11条で、基本的人権の普遍性、永久不可侵性、固有性について、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在および将来の国民に与えられる。」としています。
震骇一时的牺牲,不如深沉的韧性的战斗。
Zhèn hài yīshí de xīshēng, bùrú shēnchén de rènxìng de zhàndòu.
一時的にパッと驚かすような犠牲は無駄で、じっくりと粘り強く闘った方がいい。