2月24日、鶯の隣に細きいほりかな

 今日は2月24日、日曜日です。七時に仙台から戻り、夕食の後、机に向かっています。3日分の日課をやっています。気分は大分よくなってきました。明日は東北大学の入試です。早いもので、あれから51年がたちました。鉱山学部に行かずに浪人していたら、秋田で出会った竹内好を頼って上京していたらどうなったか、仙台に来て恩師に言われた川崎製鉄の研究所へ就職していたら、青森に戻って、和田さんに言われた県の保健所の技師になっていたら、といくつもの選択肢があったことだけは事実でした。失ったものは多かったけれど、妻と4人の子と6人の孫に恵まれたのたのが最高の幸せでした。あとは残された時間、子や孫の行く末を見とどけ、ながら自分の好きなことをやるだけです。

 今日の子規歳時は、「鶯の隣に細きいほりかな」です。
 僕の今日の川柳は、「死ぬのが嫌で月にお灸をすえている」です。

 今日の魯迅箴言は、箴言No55「花边文学/过年」です。
 叫人整年的悲愤,
  劳作的英雄们,
  一定是自己毫不知道悲愤,
  劳作的人物。
  在实际上,
  悲愤者和劳作者,
  是时时需要休息和高兴的。
  Jiào rén zhěng nián de bēifèn,

  láozuò de yīngxióngmen,

  yīdìng shì zìjǐ háo bù zhīdào bēifèn,

  láozuò de rénwù.

  Zài shíjì shang,

  bēifèn zhě hé láo zuòzhě,

  shì shíshí xūyào xiūxí hé gāoxìng de.

 年がら年中、人に悲憤と
 労働を強いる英雄たちは、
 みずからはきっと悲しみ憤ることも、
 働くことも露知らぬ人間であろう。
 現実にあっては、悲しみ憤っている労働者たちは、
 つねに休息と喜びを必要とするものなのだ。