4月11日、軸掛けて椿活けたる忌日哉

 今日は4月11日、土曜日です。今朝は朝七時に起き、洗面、朝風呂のあと朝食を摂り、8時半から日課にとりかかりました。資本論の途中、10時から11時過ぎまで2階の書斎で、県エネの議事録の参照をやりました。昼は久しぶりに昨日生協で買ってきたパンを食べました。午後も日課の残りをやりましたが、1時45分になると急に眠くなり出し、散歩がてら自転車ででかけました。古川2丁目の事務所に着くとラインでロサンゼルスの周から電話がありました。事務所にあがって30分弱話をしました。8月の帰省は無理のようです。逆に、東京がニューヨークのようになるのではないかと心配していました。小池さんや安倍さんには、東京、日本を救う統治者能力はないようです。問題は、いかにして潜在的感染者を見つけ出し、それらの人たちを隔離するかです。13日からの平日の勤務時間中に感染が広がりますし、外出禁止でも自宅で家族にどんどん感染するからです。東京がニューヨークの二の舞になるのは明らかと言えます。日本には在宅勤務できる労働体系ができていないためです。通勤、職場での触れ合いは避けられないからです。自宅で感染した家族が、買い物でスーパー、コンビニ等でさらに感染拡大につながるからです。あまりに中途半端、新型コロナを甘く見過ぎです。どさくさにまぎれて憲法改正論議を進めようなどとしているのには正気とはおもえません。このままずるずると長引けば、来年のオリンピックすらできない可能性があることを何と思っているのでしょうか。

 2011年の東北大震災と福島第一原発事故で日本は沈没しかかったのですが、こんどのコロナウィルスで、東京そして日本は、本当に沈没するかも知れません。小池にはまってさあ大変どころか、あほのミクスのなれの果てが、今年から来年にかけてしのび寄っています。こんな時勢に、私は家族(妻、四人の子とその配偶者、そして6人の孫)をどうしたら守ってやれるでしょうか。そのことだけを考えて、すくなくてもあと4カ月は辛抱しなくてはならないでしょう。8月になっても、下火にならなければ、本当に覚悟しなくてはならないでしょう。まさに、戦いの連続です、覚悟の日々です。

 

 今日の子規歳時は、「軸掛けて椿活けたる忌日哉」(明治32年)です。子規の祖父、大原観山は松山藩儒者であり、詩文に長じ、識見気節も高く藩政でも功績を残した人でした。子規は七歳の頃から祖父に素読の教えをうけたようです。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130の85です。

 (原文)

  叫人整年的悲愤,劳作的英雄们,

     一定是自己毫不知道悲愤,劳作的人物。

     在实际上,悲愤者和劳作者,

     是时时需要休息和高兴的。

 (発音拼音)

    Jiào rén zhěng nián de bēifèn, láozuò de yīngxióngmen,

  yīdìng shì zìjǐ háo bù zhīdào bēifèn, láozuò de rénwù.

  Zài shíjì shang, bēifèn zhě hé láo zuòzhě,

  shì shíshí xūyào xiūxí hé gāoxìng de.

 (日本語訳)

  年がら年中、人に悲憤と労働を強いる英雄たちは、

  みずからはきっと、哀しみ憤ることも、働くことも、露知らぬ人間だろう。

  現実にあっては、働く者たちは、

  つねに休息と喜びを必要とするのだ。