魯迅箴言日記 2020/03/24 紅梅の鉢や寐て見る置処

 今日は3月24日、まさに天下はコロナウィルスで覆い尽くされようとしている。東京オリンピックはまさに延期か中止の決断をせまられる場面に、オリンピックの延期を安倍首相は決断できないし、かといってコロナ対策も不十分、森友問題での文書改ざん指示があったとするメモについての追及、解決不能の話ばかりなのに、憲法改正だけは執念を燃やすという異常ぶりで、完全にくるっているとしかいいようがありません。

 

 今日の子規歳時は、「紅梅の鉢や寐て見る置処」(明治35年)です。この句の紅梅の鉢は、伊藤左千夫が贈ったものです。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130の67です。

 (原文)

  我每看运动会时,常常这样想;

     优胜者固然可敬,

     但那虽然落后而仍非跑至终点不止的竞技者,

     和见了这样竟技者而肃然不笑的看客,

     乃正是中国将来的脊梁。

 (発音拼音)

  Wǒ měi kàn yùndònghuì shí, chángcháng zhèyàng xiǎng;

  yōushèng zhě gùrán kě jìng,

  dàn nà suīrán luòhòu ér réng fēi pǎo zhì zhōngdiǎn bùzhǐ de jìngjì zhě,

  hé jiànle zhèyàng jìng jì zhě ér sùrán bù xiào de kànkè,

  nǎi zhèng shì zhōngguó jiānglái de jǐliang.

 (日本語訳)

  運動会を見るたびに、いつも考える。

  勝者はもとより敬うべきだが、

  遅れても絶対にゴールまで駆け抜けようとする選手と、

  その選手を見ながら粛然として笑わない観客、

  彼らこそまさに中国の将来の脊梁(せぼね)である。