魯迅箴言日記 2020/05/13 厄月の庭に咲いたる牡丹哉

 今日は5月13日、水曜日です。今日は生活クラブ生協の日、水口君に古川事務所の家賃を払う日、カネモトビルからの移転補償費の支払い説明の日でもありました。笹森先生が山菜やミズをもってきてくれました。そのあと、午後6時に青森市へ10万円の給付金の申請を西郵便局に出しに行きました。久しぶりに升田さんにも電話しました。明日は、健診の日です。体重が落ちません。困ったものです。

 

 今日の子規歳時は、「厄月の庭に咲いたる牡丹哉」(明治32年)です。子規にとって、5月は厄月だったようです。最初の吐血が明治22年5月、30年には一時危篤となり、32年5月も病状が悪化し、35年は13日から「未曾有の大苦痛」に襲われています。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130の117「同様に、読者を難なく迷路に引き込むのは、」です。

 (原文)

  还有一样最能引读者入于迷途的,是摘句。

     它往往是衣裳上撕下来的一块绣花,

     经摘取者一吹嘘或附会,说是怎样超然物外,与尘浊无干,

     读者没有见过全体,便也被他弄得迷离惝恍。

 (拼音)

    Hái yǒu yīyàng zuì néng yǐn dúzhě rù yú mítú de, shì zhāi jù.

    Tā wǎngwǎng  shì yīshang shàng sī xiàlái de yīkuài xiùhuā,

    jīng zhāi qǔ zhě yī chuīxū huò fùhuì, shuō shì zěnyàng chāoránwùwài, yǔ chén zhuó 

    wúgān,

    dúzhě méiyǒu jiànguò quántǐ, biàn yě bèi tā nòng dé mílí chǎng huǎng.

 (訳文)

  同様に、読者を難なく迷路に引き込むのは「抜粋」である。

  それはほとんど、まるで衣装から引き裂かれた刺繍の花模様のようで、

  引き裂いた者がひとたび誇張し、こじつけて、

  その花がいかに超然として俗塵にまみれていないかを説けば、

  読者は全体を見渡せずに、翻弄されて煙に巻かれることになる。