魯迅箴言日記 2020/05/05 若楓仮名巧なる写し物

 今日は5月5日、火曜日、子どもの日です。ロスから周がマシュウ君の写真を送ってくれました。少し大人になった顔つきでした。男前になりました。8月に会える予定も、コロナの影響で無理となり、寂しいかぎりです。陽のところの晴仁君は、中1で入学はしたのですが、浦安の中学は休校状態のはずです。孫6人は、中学生を筆頭に小学生、それに9月に小学校入学の幼稚園児と保育園児が三人です。みんなアトホームで、さぞかしストレスがたまっていることでしょう。可哀そうな気がします。それに比べて私の何と幸せなことか、家で日課をしっかりできているし、韓ドラも毎日観ることができるし、NHKのニュースもプラス1で見ながら、珈琲も煎茶も好きなだけ飲めるし、雨が降ろうが、雹が落ちてこようが、自転車で古川の二つの事務所へ行き、仕事もでき、小説も書くことができるのですから、こんな幸せなことはありません。しかも毎日、衣類の洗濯と食事は輝代さんが作ってくれるのですから、満足と言ったら言いようがありません。

 

 今日の子規歳時は、「若楓仮名巧なる写し物」(明治34年)です。翌年35年の5月5日には、「病牀六尺」を日本紙上に連載を開始しています。この句は昨日に続く、「墨汁一滴」の句です。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130の109「誰が言ったのか忘れてしまったが、」です。

 (原文)

  忘记是谁说的了,

     总之是,要极省检的画出一个人的特点,

     最好是画他的眼睛。

     我以为这话是极对的,

     倘若画了全副的头发,即使细得逼真,

     也毫无意思。

 (拼音)

  Wàngjì shì shéi shuō dele,

  zǒngzhī shì, yào jí shěng jiǎn de huà chū yīgè rén de tèdiǎn,

  zuì hǎo shì huà tā de yǎnjīng.

  Wǒ yǐwéi zhè huà shì jí duì de,

  tǎngruò huàle quánfù de tóufǎ, jíshǐ xì dé bīzhēn,

  yě háo wú yìsi.

 (訳文)

  誰が言ったのか忘れてしまったが、

  つまり、極力筆を省いて一人の人間の特徴を描くには、

  彼の眼を描けばいい、と。

  これは的を射て妙である。

  頭髪のすべてを描いたところで、細かさは真にせまるとしても、

  まったく意味がない。