魯迅箴言日記 2020/07/15 故郷へ入る夜は月よほととぎす

 今日は7月15日、水曜日です。今日は生協の購入日です。朝、購入票を出し、そのまま浦町小学校の4年1組の感興出前講座で買い物ゲームの講師です。10時半から12時まで授業です。そのあと帰宅し、昼を食べ、夕方の水陽会まで日課をやりました。ラプラス青い森での水陽会では鹿内さん、一戸さん、正木さん、石川さん、武内さん、小山内さんたちと話をしました。新しく木立さんとも知り合いになりました。話題になった徳之島のウミガメ、パリのノートルダム寺院の火災のことなどに興味を持ちました。水陽会は8月は休みで、9月9日が次回となりました。

 

 今日の子規歳時は、「故郷へ入る夜は月よほととぎす」(明治25年)です。子規が明治24年の帰省中、松山で新俳句の研究が起こったようです。このとき碧梧桐19歳、虚子は18歳でした。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の50日目「専門家の話がひとりよがりだというのは、」です。

 (原文)

  专门家的话多悖的事,

       还得加一点申说。

       他们的悖,

       未必悖在倚专家之名,

       来论他所专门以外的事。

 (拼音)

  Zhuānmén jiā dehuà duō bèi de shì,        
  hái dé jiā yīdiǎn shēn shuō.        
  Tāmen de bèi,        
  wèibì bèi zài yǐ zhuānjiā zhī míng,        
  lái lùn tāsuǒ zhuānmén yǐwài de shì.

 (訳文)

  専門家の話はひとりよがりだというのには、

  もう少し説明が必要であろう。

  彼らの独善は、

  必ずしも彼らの専門にあるのではなく、

  専門家の名をいいことに、

  専門外のことまで論ずることにあるのだ。