魯迅箴言日記 2020/07/16 母親に夏やせかくす団扇かな

 今日は7月16日、木曜日です。今日は、午前中、輝代さんの付き添いで、病院、成田本店、生協と回りました。昼はインスタントラーメンでした。午後に古川の事務所へ行き、すこし仕事をして、5時前にとり平へ寄りました。

 

 今日の子規歳時は、「母親に夏やせかくす団扇かな」(明治25年)です。明治25年7月、子規は大学の学年試験に落第し、退学を決意しました。この夏、子規は漱石に同行し東京を発ち、岡山で漱石と別れ、子規は七度目の帰省をしたのです。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の49日目「幇間は、」です。

 (原文)

  帮闲,

       在忙的时候就是帮忙,

       倘若主子忙于行凶作恶,

       那自然也就是帮凶。

       但他的帮法,

       是在血案中而没有血迹,

       也没有血腥气的。

 (拼音)

  Bāngxián,        
  zài máng de shíhòu jiùshì bāngmáng,        
  tǎngruò zhǔzi mángyú xíngxiōng zuò'è,        
  nà zìrán yě jiùshì bāngxiōng.        
  Dàn tā de bāng fǎ,        
  shì zài xuè'àn zhōng ér méiyǒu xiějī,        
  yě méiyǒu xuèxīng qì de.

 (訳文)

  幇閑は、

  忙しいときには、幇忙である――忙しさを手伝う。

  もしも、主人が人殺しやるのに忙しい場合には、

  むろん人殺しの手伝いもやる。

  だが、彼の手伝いの仕方は、

  人殺しをしても血の痕をのこさず、

  血なまぐさい臭いもしないことである。