今日は3月13日、土曜日です。原告団の事務局会議がZOOMであり、自宅で会議が出来、話をききながら日課もやることが出来ました。昼過ぎに輝代さんと生協へ行き、戻ってきて、玄関前の雪をかき、道路までの雪を除去しました。日課をやり、GEAの総会の準備をすることにしました。「かばのため息」で論語(1日1節)、「魯迅箴言日記」で子規歳時(当日分)、日本国憲法(1日1章)、魯迅箴言365日(当日分)、をやり、その他は漱石「草枕」(1段落)、「資本論」第二分冊、岩井克人「ヴェニスの商人の資本論」、「続 下北半島核景色」、高木仁三郎「核燃料サイクル施設批判、川柳作句・研究、という具合で、日常の勉強を続けています。それにつけても、北狄の事務局の仕事は結構大変ですが、それなりに楽しくやっています。
今日の子規歳時は、「会の日や晴れて又降る春の雨(明治32年、1899年)」です。
第3条〔国事行為に対する内閣の助言・承認と責任〕
天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
今日の魯迅箴言は、箴言365日の第277日目「青年はどうして、」です。
原文;
青年又何须寻那挂着金字招牌的寻师呢?不如寻朋友,联合起来,同向着似乎可以生存的方向走。你们所多的是生力,遇见深林,可以辟成平地的,遇见旷野,可以栽种树木的,遇见沙漠,可以开掘井泉的。
拼音;
訳文;
青年がどうしてあの金看板をかけている指導者を求める必要があろう。それよりは友を求めて、一緒になって生存できると思われる方向へ歩くにこしたことはない。君たちにあふれているものは元気な力だ。深林に出会ったら、伐り開いて平地にすることができるし、荒野に出会ったら、樹木を植えることができるし、砂漠に出会ったら、きっと井戸を掘ることができる。