魯迅箴言日記 2021/05/07 夏にはいってげんげんいまだ衰へず(明治29年、1896年)

 今日は5月7日、金曜日です。今日はGEAの仕事を早めに終え、小説に専念するつもりです。コロナの猛威は収まるどころか、とぐろを巻いて襲いかかろうとしている気配です。災いを転じてチャンスとすべく精進するつもりです。国民投票法改正案が衆院を通過するようです。自民に妥協をさせたとしても、改憲への道を開くことには違いないようにも思えるのですが、こんな状況でいそいで法案を通過させる必要があるのでしょうか。最近、憲法25条の生存権を重視すべきとの意見を表明する政党もあらわれ、9条だけでなく、憲法のいい面をもっと豊富化しようという狙いはいいと思う。

 今日の子規歳時は、「夏にはいってげんげんいまだ衰へず(明治29年、1896年)」です。ここで、げんげんとはレンゲソウのことです。

 今日の日本国憲法は、憲法第59条です。

 第59条〔法律の制定、衆議院の優越〕

(1)法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。

(2)衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再び可決したときは、法律となる。

(3)前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。

(4)参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて60日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の第332日目「凡そ翻訳には、必らず両面が備わっていなkればならない」です。

 原文;

 凡是翻译,必须兼顾着两面,一当然力求其易解,一则保存,却又常常和易懂相矛盾;看不惯了。不过它原是洋鬼子,当然谁也看不惯,为比较的顺眼起见,只能改换的他的衣裳,却不该削低他的鼻子,剜掉他的眼睛。

 拼音;

    Fánshì fānyì, bìxū jiān gù zháo liǎngmiàn, yī dāngrán lìqiú qí yì jiě, yī zé bǎocún, què yòu chángcháng hé yì dǒng xiāng máodùn; kàn bù guànle. Bùguò tā yuán shì yángguǐzi, dāngrán shéi yě kàn bù guàn, wéi bǐjiào de shùnyǎn qǐjiàn, zhǐ néng gǎihuàn de tā de yīshang, què bù gāi xuē dī tā de bízi, wān diào tā de yǎnjīng.

 訳文;て、

    どんな翻訳でも、両面を考慮に入れる必要があります。一つは当然にわかりやすさが求められるし、もう一つは原作の豊かさが保たれているかです。もちろん、理解しやすいというのは、逆に矛盾することもをます。私はそれにどうしても慣れることができません。でも、翻訳者がもともとは異国の悪魔を翻訳する場合に、当然、だれもわかるはずはありません。だからといって、衣装をかってにかえたり、鼻を勝手に削ったり、眼をくりぬいたりしてはいけません。