魯迅箴言日記 2021/05/15 土一塊牡丹生けたる其下に(明治35年、1902年)

 今日は5月15日、土曜日です。今日は六ヶ所村へ最終処分場にしない条例請求の署名活動の日です。7時に家を出て、9時前に役場裏に到着、セレモニーのあと、街宣車で街頭で宣伝活動を行ないました。弁士は、鹿内、今村、小熊、菊川の四氏でした。午後二時に戻り、給油して、明日の運転する若木さんに連絡してからいったん帰宅してから工藤さんと約束したせんなりの反省会にむかいました。途中、アウガにより17日の月曜会を火曜日にする変更届けを出してきました。

 せんなりから戻ったのは8時、すぐに寝ました。

 今日の子規歳時は、「土一塊牡丹生けたる其下に(明治35年、1902年)」です。

 今日の日本国憲法は、憲法第67条です。

 第67条〔内閣総理大臣の指名、衆議院の優越〕

(1)内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。

(2)衆議院参議院とが異なつた指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて10日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。

 今日の魯迅箴言は、箴言395日の第340日目「不过”珍本”并不就是善本」です。