魯迅箴言日記 2022/01/05 鶯の宿に投げ込む名札かな(明治28年、1895年)

 今日は1月5日、弘前の吉村さんの所へ行くのは雪のため取りやめに。スキャンの設定に失敗し、ワードファイルの印刷の設定まで壊してしまったようです。両面印刷の朝からとりかかり、結局、復旧したのは午後の6時までかかってしまった。労金と高森銘茶堂と風晴宅へ生協のものを引き取りにいっただけ。あとは、夕食後は部屋で日課をやって一日を終えました。まさに、プリンターの復旧作業で一日を費やしたのでした。

 今日の子規歳時は、「鶯の宿に投げ込む名札かな(明治28年、1895年)」です。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-68「歴史書には中国の魂が記してあり、将来の運命を示しているが」です。

 历史上都写着中国的灵魂,指示着将来的命运,

    只因为涂饰太厚,废话太多,所以很不容易察出底细来。

    正如通过密叶投射在莓苔上面的月光,

    只看见点点的碎影。

    但如看野史和杂记,可更容易了然了,

    因为他们究竟不必太摆史官的架子。

 歴史書には中国の魂が記してあり、将来の運命を指し示しているが、

 ただ分厚い修飾や無駄な話が多すぎるため、真相が見えづらい。

 まるで茂みを透して苔の地面に差し込む月光のように、

 砕け散った明かりが点々と見えるだけである。

 ところが民間の支署や雑記を読むと、かえってわかりやすい。

 というのも、その書き手たちは結局、

 さほど史官ぶって書く必要はなかったからだ。

     

 

 

 

 

 

 

 

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