魯迅箴言日記 2022/01/30 鯨つく漁父ともならで坊主哉(明治35年、1902年)

 今日は1月30日、日曜日です。今朝はきのうとうってかわってときどき雪はちらつきますが、穏やかな冬の日です。こんなに雪が多くては、一人暮らしの老人や病人をかかえる家庭は大変です。大工さんはこの冬、雪下ろしのバイトで大忙しなようです。工藤さんが大工の稲葉さんに頼まれて今月だけで10日以上もバイトして、日に最低1万円稼いでいるらしい。ただで雪下ろししてくれる人はいない。コロナの猛威は続いている。三鷹の娘のところの保育園でも感染者がでたということで、保育園は休園になる騒ぎで、娘のところでも戦戦兢兢としている。 

 今日の子規歳時は、「鯨つく漁父ともならで坊主哉(明治35年、1902年)」です。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-93「たとえ、浅い水たまりにすぎずとも、」です。

 纵令不过一洼浅水,也可以学学大海;

   横竖都是水,可以相通。

 たとえ浅い水たまりにすぎずとも、大海を学ぶことはできる。

 いずれにせよ、どちらも水だから、あい通じるはずだ。