2月24日、火曜日です。今日も朝日がさしています。

 
 今日は2月24日火曜日、川柳教室が午後からあり、夜は長島小学校6年7組のクラス会です。今朝のモーニング珈琲は隣の土田さんからの春恒例の鶯餅をいただいています。昨日の東奥日報の夕刊に子規と陸羯南のことがふれられていました。子規は弾圧により発禁処分をくらった日本の代わりに「小日本」の主筆として頑張ったようです。

 今日の子規歳時は、
 

 鶯の隣に細きいほりかな (1892年、明治25年2月24日)

 下谷区上根岸88番地に子規が移ったのは明治25年2月の末日のことでした。知遇を得た陸羯南の家は狭い路を隔てた向こう隣りにあり、俗に鶯横丁とも称えていたようです。子規が永眠した82番地へは27年1月に移っています。

 今日の論語は、雍也第六の第3節です。

 6-3 哀公问,弟子孰为好学,孔子对曰,有颜囘者,好学,不迁怒,不幸短命死矣,今也则亡,未闻好学者也,
(哀公問う、弟子、孰か学を好むと為す。孔子対えて曰わく、顔回なる者あり、学を好む。怒りを遷さず、過ちを弐たびせず。不幸、短命にして死せり。今や即ち亡し。未だ学を好む者を聞かざるなり。)

今日の魯迅箴言は、箴言91から箴言100までです。

91 倘若一定要问我青年应当向怎样的目标,那么,我只可以说出我为别人设计的话,就是;一要生存,二要温饱,三要发展。…… 我之所谓生存,并不是苟活;所谓温饱,并不是奢侈;所谓发展,也不是放纵。 (もし私が、青年はいかなる目標に向かうべきか、と無理にも問われたのなら、私は、他の人のために考えた言葉を言うほかないでしょう。――すなわち、一に生存、二に衣食、三に発展。…… 私の言ういわゆる生存とは、けっしてその場限りに活きることではなく、いわゆる衣食とは、奢侈ではなく、いわゆる発展とは、放縦ではないということを。
92  我也曾有如现在的青年一样,向己死和未死的导师们问过应走的路。他们都说;不可向东,或西,或南,或北。我终于发见他们心底里的蕴蓄了;不过是一个不走而己。 (私もかつては、今の青年たちと同様に、すでに亡くなった、あるいはまだ亡くなっていない指導者たちに、歩むべく道を訊ねたものだ。彼らはみなこう言った。東、あるいは西、あるいは南、あるいは北に向かってはならない、と。しかし東、あるいは西、あるいは南、あるいは北に向かうべきだ、とも言わなかった。私はようやく、彼らの腹の底にある蘊蓄を発見した。それはただ、「行くな」ということであった。)
93 纵令不过一洼浅水,也可以学学大海;横竖都是水,可以相通。 (たとえ浅い水たまりにすぎずとも、水たまりに大海を学ぶことはできる。いずれにせよ、どちらも水だから、あい通じるはずだから。

94 青年又何须寻那挂着金字招牌的导师呢? 不如寻朋友,联合起来,同向着似乎可以生存的方向走。你们所多的是生力,遇见深林,可以辟成平地的,遇见旷野,可以栽种树木的,遇见沙漠,可以开掘井泉的。(青年が、金文字のメダルを首にかけた指導者を探す必要など、どこにあろうか? 朋友を探して団結し、生きていけそうな方向へと共に歩み出すほうがよっぽどいい。君たちは活きる力に溢れていて、森林に遭遇すれば平地を切り開き、荒野に遭遇すれば樹木を植え、砂漠に遭遇すれば井戸を掘ることができるのだから。

95 第一次吃螃蟹的人是很可佩服的,不是勇士谁去吃它呢? 螃蟹有人吃,蜘蛛一定也有人吃过,不过不好吃,所以后人不吃了。像这种人我们当极端感谢的。(初めて蟹を食べた人には、まったく感服します。勇者でなくて誰が、そんなものをあえて食べるでしょうか? 蟹を食べた人がいれば、蜘蛛を試した人もいたはずです。しかし不味かったために、後の人は食べなかった。このような人たちに、私たちは大いに感謝すべきでありましょう。

96 孩子是要别人教的,毛病是要别人医的,即使自己是教或医生。但做人处世的法子,却恐怕要自己斟酌,许多别人开来的良方,往往不过是废纸。(子どもには他人の教えが必要であり、病気には他人の治療が必要である。――たとえ、自分が教師や医者であっても。しかし、人として世を渡ってゆくには、自分で思案し処置するほかないだろう。他人が示してくれるあれこれの処方箋は、往々にしてただの紙屑にすぎない。

97 用秕谷来养青年,是决不会壮大的,将来的成就,且要更渺小,…… (屑米で青年を養えば、けっして大きく丈夫には育たず、将来に成し得ることは、ましてや貧弱なものにしかなるまい……)
98 老的让开道,催促着,奖励着,让他们走去。路上有深渊,便用那个死填平了,让他们走去。少的感谢他们填平深渊,给自己走去;老的也感谢他们从我填平的深渊上走去。――远了远了。 (老いたる者は若者に道をあけ、促し、励ましつつ、彼らを先へと歩ませるべきだ。地上に深い淵があれば、自分の死をもって淵を埋めて平らにし、若者たちを先へと歩ませることをすべきだ。若者は、老いたる者が淵を埋め自分たちを行かせてくれたことに感謝し、老いたる者もまた、自分が平らにした淵の上を歩む若者たちに感謝するのだ。――遠く、どこまでも。)
99 先驱者本是容易变成绊脚石的。 (先駆者というものは元来、容易に邪魔者になり変わるものだ。
100 希望是附丽于存在的,有存在,便有希望,有希望,便是光明。 (希望は存在とともにあるものです。存在あるところに希望があり、希望あるところに光明がありのです。)