魯迅箴言日記 2022/08/13 石ころで花いけ打や墓参(明治30年、1897年)

 今日は8月13日、土曜日です。お盆の墓参りは中止です。日課をやり、断捨離をしています。

 今日の子規歳時は、「石ころで花いけ打や墓参(明治30年、1897年)」です。

 墓参り;墓へまいって拝むこと。墓詣で。展墓。ぼさん。俳諧では特にお盆の頃のをいう。秋。「―に帰郷する」
[広辞苑 第七版]

 いける;他下一い・く(下二)①生かす。生かしておく。死なないようにする。宇津保物語(藤原君)「ひばりの乾鳥ほしどり、これらを―・けて媒鳥おとりにて捕らば、多くの鳥出で来ぬべし」。蜻蛉日記(上)「こゝながら死なんと思へど、―・くる人ぞいとつらきや」。鶴の翁「岩舟にもろもろの魚を―・けたり」②(死んだものを)生き返らせる。源氏物語(手習)「尼君は、親のわづらひ給ふよりも、此人を―・けはてて見まほしうをしみて」。宇治拾遺物語(7)「この馬を―・けて給はらんと念じてゐたる程に」

③(切り取った花や枝を枯らさないようにする意から)花や枝を器に入れ、飾り上げる。挿す。いけ花をする。鶴の翁「水瓶に松を―・け給ふ」④(「埋ける」とも書く)土の中や灰の中に埋める。日葡辞書「クリ・ミカンナドヲイクル」。続猿蓑「火燵の火―・けて勝手をしづまらせ」(馬莧)。「炭を―・ける」「土管を―・ける」
[広辞苑 第七版]

 今日の魯迅箴言は、箴言130-107「あえて正視してこそ」です。

 必须敢于正视,

    这才可望敢想,敢说,敢作,敢当。

 あえて正視してこそ、

 はじめて果敢に考え、説き、行ない、事に当たれるのだ。