魯迅箴言日記 2022/12/12 霜やけの手より熬豆こぼしけり(明治34年、1901年)

 今日は12月12日、月曜日です。朝、4時半に起き、日課をやらずに小説にとりかかりました。「海峡の北」です。舞台は函館、室蘭、仙台、そして青森です。いい作品になればいいのですが。昼前にいちおう中断し、北狄401号の編集に入り、ラーメンを昼食に食べ、青柳さんに2校を届け、その足で、古川事務所に行きました。石油はポリタンクで運んであったし、6時からのGEAの会議の準備をしながら、3時には市議会の議事堂に向かいました。3時20分からおぐひと美さんの一般質問が始まりました。なかなかの出来でしたが、市長は答弁に立ちませんでした。理事者側の部長もまばらで、議員も32人中、24人しか議場にいませんでした。バカにしている感じです。5時に古川事務所に戻り、6時からの議題をつくり、7時には終わりました。青柳事務所に寄って、新報を持って、7時半に帰宅しました。

 今日の子規歳時は、「霜やけの手より熬豆こぼしけり(明治34年、1901年)」です。この日の子規は病が嵩じて、手の筋肉もよわっている様がわかります。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-77「わが子とは、私にして私ではない人間であり、」です。

 子女是即我非我的人,

    但既己分立,也便是人类中的人。

    因为即我,所以更应该尽教育的义务,交给他们自立的能力;

    因为非我,所以也应同时解放,全部为他们自己所有,成一个独立的人。

 わが子とは、私にして私でない人間であり、

 しかし、すでに分かれて存在する以上、人類の中の一人でもある。

 私であるからには、教育的義務を尽くして、

 彼らに自立する能力を与えなければならない。

 私でないからには、同時に解放して、すべてを彼ら自身にまかせ、

 一人の独立した人間にしてやらねばならない。