魯迅箴言日記 2023/04/17 虻の声臍のあたりを飛去らず(明治30年、1897年4月17日)

  今日は4月17日、16日は朝6時に起きて、6時40分に家を出て、中央インターから東インターから国道へ出て、ハマナスラインを北上し、9時半少し前に風間浦村の桑畑の湯ん湯んに着き、富岡社長たちと合流、風間浦のニタ川沢、大川尻、焼け山沢を見て回り、昼は馬路さんを送って、下北駅前食堂で昼食。2時から3時まで海峡の湯で入浴。そのあと、佐井村の焼け山沢を視察し、5時に民宿宮野に到着。すぐに夕食、7時に部屋に上がり、眠る。5時に起き、日課を8時までやる。朝食後、8時45分に宿をチェックオフ。9時から10時半迄、役場で牛滝案件の打ち合わせ。10時半から牛滝川の小水力発電の再調査。12時半、宮野に支払。1時、大間フェリーに浅田氏を送る。

1時駒嶺食堂で刺身定食。2時に下風呂温泉(海峡の湯)富岡社長と別れる。4時55分帰宅。5時10分、タクシーで寺町の一会へ。未津きみ、宮園真木さんと会う。

8時帰宅。雪の会の投句、資料整理、日課の続きを12時までやる。困din

 今日の子規歳時は、「虻の声臍のあたりを飛去らず(明治30年、1897年4月17日)」である。

 虻の飛ぶ音のしつこさは鬱陶しいものだが、臍あたりをうろつかれたらいらいらはつのる。子規は明治30年に腰部を三月、四月に手術するも回復せず、病状は悪化しています。「虻の声」がうまい。

 今日の魯迅箴言は、箴言365-2「穏やかな暮らしから困窮の暮らしへ堕ちた者なら」です。

 有谁从小康人家而坠入困顿的么,

    我以为在这途路中,

    大概可以看见世人的真面目。

    穏やかな暮らしから、困窮の暮らしへ堕ちた者なら、

 大概はその過程で世間の人の真面目(本当の顔)を

 みるだろうと私は思う。