魯迅箴言日記 2022/11/07 燈心の如き白菊咲きにけり(明治33年、1900年)

 今日は11月7日、月曜日です。今日は日課をやり、新報の仕分けをして、11時の風間浦村の富岡村長の面談に間に合うように8時に家を出ました。10時40分に着き、村長と課長に約1時間面談しました。そのあと、大間町役場に行き、山本隆教育長に表敬訪問しました。3時に横浜の道の駅でラーメンを食べ、車の中で、原告団テレビ会議に出ました。車の中でもデザイリングでネットのズーム会議ができることがわかりました。5時半から選対会議市議選総括会議に出て7時半に戻りました。

 今日の子規歳時は、「燈心の如き白菊咲きにけり(明治33年、1900年)」です。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-47「我々の智識には限りがあるから、」です。

    我们的知识很有限,谁都愿意听听名人的指点,

    但这时就来了一个问题;

    听博识家的话好,还是听专门家的话好呢?

    解答似乎很容易;都好。自然都好;

    但我由历听了两家的种种指点以后,

    却觉得必须有相当的警戒。

    因为是,博识家的话多浅,专门家的话多悖的。

 我々の知識には限りがあるから、誰しも名の知れた人の教えに耳を傾ける。

 しかし、ここに、ひとつの問題が生じる――

 博識家と専門家、どちらの話を聞くのがよいのか?

 答えは簡単そうにみえる――どちらも」よい。

 むろん、どちらもよいのだが、

 わたしは双方からいくつかの心構えが必要だと思う。

 なぜなら、博識家の話は底の浅いことが多く、

 専門家の話は独りよがりが多いからだ。