魯迅箴言日記 2023/09/28 月を待つ闇たのもしき野の広さ(明治31年、1898年)

 今日は9月28日、木曜日です。今日は八戸へ行き、午後にもどり、一艘教室へ出て、そのあとは、日課をやり、ブログの更新をして、夜までになりました。明日は、和田さんの通夜です。もと、北狄の同人でした。

 今日の子規歳時は、「月を待つ闇たのもしき野の広さ(明治31年、1898年)」です。

 陰暦8月15日の月は、中秋の名月十五夜です。翌十六には十六夜十五夜より少し遅れて昇る。18日は、居間に座って待つという意味で、居待月。19日が臥待月。20日は更待月。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-55「成語は使い古された古典とも違い」です。

 成语和死古典又不同,多是现世相的神髓,

   随手粘掇,自然使文字分外精神;

   又即从成语中抽出思绪;

   既然从世相的种子出,开的也一定是世相的花。

 成語は使い古された古典ともまた違い、多くは世相の神髄であって、

 意のままに取り入れれば、言葉はことのほか生き生きとしてくる。

 さらに成語から思いがけぬ思考の糸口が導かれることもあり、

 世相の種から出てくる以上は、開くのは必ず世相の花である。