魯迅箴言日記 2020/03/12 春の山重なりあうて皆丸し

 今日は、3月12日、木曜日です。一艘教室、青ペンの役員会の日です。

 

 今日の子規歳時は、「春の山重なりあうて皆丸し」(明治28年)です。明治30年3月、「この花」という詩集に、子規は鹿笛、父の墓、ほか数篇を載せています。これで、新体詩人としても認められました。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130の55です。

 (原文)

  成语和死古典又不同,多是现世相的神髓,

     随手拈掇,自然使文字外精神;

     又即从成语中,另外抽出思绪;

     既然从世相的种子出,开的也一定是世相的花。

 (発音拼音)

     Chéngyǔ hé sǐ gǔdiǎn yòu bùtóng, duō shì xiàn shì xiàng de shén suǐ,

     suíshǒu niān duō, zìrán shǐ wénzì wài jīngshén;

     yòu jí cóng chéngyǔ zhòng, lìngwài chōuchū sīxù;

     jìrán cóng shì xiàng de zhǒngzǐ chū, kāi de yě yīdìng shì shì xiàng de huā.

 (日本語訳)

  成語は使い古された古典ともまた違い、多くは今の世相の真髄であって、

  意のままに取り入れれば、言葉はことのほか生き生きしてくる。

  さらに成語から思いがけぬ思考の糸口が導かれることもあり、

  世相の種から出て来る以上は、開くのは必ず世相の花である。