魯迅箴言日記 2022/06/22 伸び切って夏至に逢ふたる葵かな(明治29年、1896年)

 今日は6月22日、水曜日です。今朝は5時半に起き、日課をやり、8時に朝食をたべ、風呂へ入り、8時50分に家を出ました。まず、生活クラブ生協の購入表を提出し、アウガ魯迅選集の借用の更新をして、エレベーターで田口幸子さんにばったり会いました。少し痩せていました。新報を購読してもらうことになりました。田名部匡代さんの第一声に立憲民主党泉健太代表が駆けつけてくれました。社民党の今村県連合代表も挨拶しました。泉代表は物価高と年金切り下げによって国民生活は圧迫されていると訴えました。立憲や連合に配慮してか、今村さんは核燃サイクルに言及しませんでした。暦では、昨日21日が夏至でした。

 今日の子規歳時は、「伸び切って夏至に逢ふたる葵かな(明治29年、1896年)」です。

 夏至二十四節気の一つ。太陽の黄経が90度に達する時で、一年中で北半球の昼が最も長く、夜が最も短い。太陽暦では6月21日頃。夏

 葵;

①㋐フユアオイ・タチアオイ・ゼニアオイなど、大形の花をつけるアオイ科草本の俗称。現代の俳諧では特にタチアオイをいうことが多い。夏。万葉集(16)「延はふ葛くずの後にも逢はむと―花咲く」
ウマノスズクサ科の多年草フタバアオイのこと。

②襲かさねの色目いろめ。表は薄青、裏は薄紫。(桃華蘂葉)

③紋所の名。賀茂社の神紋の賀茂葵に由来し、種々に変形。特に、徳川家の家紋の葵巴。「―の御紋」

源氏物語の巻名。葵の上と六条御息所の車争いと、葵の上の死を描く。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130-55「成語は使い古された古典ともまた違い、」です。

 成语和死古典又不同,多是现世相的神髓,

    随手拈掇,自然使文字分外精神;

    又即从成语中,另外抽出思绪;

    既然从世相的种子出,开的也一定是世相的

、花。

    成語は使い古された古典ともまた違い、多くは今の世相の神髄であって、

 意のままに取り入れれば、言葉はことのほか生き生きしてくる。

 さらに成語から思いがけぬ思考の糸口が導かれることもあり、

 世相の種から出てくる以上は、開くのは必ず世相の花である。