老子の「上善如水」について

 先週から、BS日テレで月・火の午後6時から「恕の人・孔子伝」が始まっている。現代の女性が、孔子伝を書こうと調べて現代と交錯させてドラマが進行している。4回目の火曜日は、幵官の娘と結婚して男子誕生するまでで終わった。私が校正・校閲を手伝った「孔子ー死生命あり」とは、ストーリーはだいぶ違う。それでも面白く見ている。来週も楽しみだ。老子と会うくだりがどう描かれるのか興味深い。
老子の有名な言葉に「上善の水」がある。これは、「老子」易性第8章に出てくる言葉だ。
 「上善若水。水善利萬物而不爭、處衆人之所惡。故幾於道。居善地、心善淵、與善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。夫唯不爭、故無尤。」
 これの読み下し文はこうなる。
 「上善(じょうぜん)は水のごとし。水は善(よ)く万物を利して争わず、衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所に処(お)る。故に道に幾(ちか)し。居るは善く地、心は善く淵(えん)、与うるは善く仁、言は善く信、正すは善く治、事は善く能、動くは善く時。それただ争わず、故に尤(とが)なし。」
 つまり、「理想的な生き方をしようと思うなら、水のような生き方に学ぶべきだ。水は万物に恩恵を与えながら、水自身は人のいやがる低い所に流れていく。また、水は一番善いところに住んで、心を善く広くもって、善いいつくしみを与え、善い言葉を語り、善い政治を行い、善い結果を出し、最も善い時に動くものだ。このように、水は争わないので恨まれることもない。だから、水に学ぶべきなのだ。」と二千五百年も前に老子は説いている。