今日の論語一日一章「人而不仁、如禮何」

 心の徳がない人は、いかに言葉や作法が巧みでも、敬が欠けて礼の根本が亡びているので何の役にも立たない。また、心の徳がない人は、いかに声や様子が美しくても、和が欠けて楽の根本が亡びているので、何の役にも立たない、と孔子は言っています。つまり、いかに言葉や作法が巧みでも、いかに声やその様子が美しくても、その人に徳がなければ、つまり不仁であれば、何の役にも立たないと孔子は心の徳のことを言っています。

 今日の論語一日一章は、第2篇「八佾第三」の第3章「人而不仁、如禮何」(人にして不仁ならば礼をいかん)です。
 この章の漢文原文はこうです。
 「子曰、人而不仁、如禮何。人而不仁、如擽何。」
 これの読み下し文はこうです。
 「子曰く、人にして不仁ならば礼をいかん。人にして不仁ならば楽をいかん。」
 また、中国語簡体表記はこうなります。
 「子曰,人而不仁,如礼何。人而不仁,如乐何。」
 ここで、この章の日本語訳はこうなります。
 「孔子が言われた。仁は心の徳で、礼楽の根本である。人がもし不仁で心の徳がないならば、敬が欠けて礼の根本が亡びるから、いかに言葉や作法が巧みでも、何の役にも立たぬのである。人がもし不仁で心の徳がないのならば、和が欠けて楽の根本が亡びるから、いかに声や様子が美しくても何の役にも立たぬのである、と。」
 ここでの語句・語彙の解釈はこうなります。
 仁;心の徳のことを言っています。
 この章は、礼楽の本は、心にあることを述べたものです。
 古は礼楽が国を治めるのに必要な機関であったのですから、心の徳がなければ何の効果もないことを言っています。