1月15日、木曜日になりました

 今日は1月15日、イチゴの日だそうです。
 
 さて、今日の子規歳時は、
 
 新年や鶯鳴いてほとヽぎす (1897年1月15日)
 
 柳原極堂が、子規を中心にした俳誌ホトトギスを松山で創刊したのが明治30年1月15日だったそうです。翌年8月の20号を最後に高浜虚子に譲り、その後、ホトトギスは東京で発行され、今日に至っているのです。
 
 今日は、川柳おかじょうきの無人駅の締切日、夕方の会合に1時間ほど出掛ける以外は、小説のことを考えて一日をおくるつもりです。
 パソコンの調子が体調以上に、日課魯迅箴言論語に時間がかかってしまいました。外は雨、いつかは春が青森にもやってくるのです。
 
 結局、今日は5時19分バス停発で町へでかけ、6時59分県庁横のバス停から乗り込み帰宅しました。家に着くまで、ちょうど5千歩でした。
 明日は、北狄369号の合評会です。川柳の投句も終わったので、明日の準備をしながら、10枚小説を書かねばなりません。その日にできることは、その日にきちんとやり終えることが一番大事です。
 
 今日の論語は、
 
 論語 巻第二 第3篇 「八佾第三」(1章から26章)
 
3-1 孔子谓季氏,八佾舞於庭,是可忍也,孰不可忍也,
孔子、季氏を謂わく、八佾、庭に舞わす、是れをも忍ぶくんば、孰れをか忍ぶべからざらん。
 
3-2 三家者以雍徹,子曰,相维辟公,天子穆穆,奚取於三家之堂,
(三家者、雍を以て徹す。子曰わく、相くるは維れ辟公、天子穆穆と。奚ぞ三家の堂に取らん。)
 
3-3 子曰,人而不仁,如礼何,人而不人,如乐何,
(子曰わく、人にして仁ならずんば、礼を如何。人にして仁ならずんば、楽を如何。)
 
3-4 林放我问礼之本,子曰,大哉问,礼与其奢也宁俭,丧与其易也宁戚,
(林放、礼の本を問う。子曰わく、大なるかな問うこと。礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ。喪は其の易めんよりは寧ろ戚め。)
 
3-5 子曰,夷狄之有君,不如诸夏之亡也,
(子曰わく、夷狄の君あるは、諸夏の亡きに如かざるなり。)
 
 
今日の魯迅箴言は、 
 
46 农夫耕田,泥匠打墙,他只为了米麦可吃,房屋可住。自己也因此有益之事,得一点不亏必的糊口之资,历史上有没有乡下人列传或、泥水匠列传,他向来就并没有想到。
Nóngfū gēng tián, ní jiàng dǎ qiáng, tā zhǐ wèile mǐ mài kě chī, fángwū kě zhù. Zìjǐ yě yīncǐ yǒuyì zhī shì, dé yīdiǎn bù kuī bì de húkǒu zhī zī, lìshǐ shàng yǒu méiyǒu `xiāngxià rén lièzhuàn'huò,`níshuǐjiàng lièzhuàn', tā xiànglái jiù bìng méiyǒu xiǎngdào.
(農夫が田を耕し、左官が壁を塗るのは、食べられる米や麦、住める家屋に、みずからもその恩恵にあずかりながら、何のやましい気持もなく生活費を得るためで、歴史上に「田舎者列伝」や「左官屋列伝」があるかどうかなど、これまで考えたことすらあるまい。)
 
47 我们的知识很有限,谁都愿意听听名人的指点,但这时就来了一个问题;听博识家的活好,还是听专门家的活好呢? 解答似乎很容易;都好。自然都好;但我由厉听了两家的种种指点以后,却觉得必须有相当的警戒。因为是;博识家的活多浅,专门家的活多悖的。
Wǒmen de zhīshì hěn yǒuxiàn, shuí dōu yuànyì tīng tīng míngrén de zhǐdiǎn, dàn zhè shí jiù láile yīgè wèntí; tīng bóshì jiā de huó hǎo, háishì tīng zhuānmén jiā de huó hǎo ne? Jiědá sìhū hěn róngyì; dōu hǎo. Zìrán dōu hǎo; dàn wǒ yóu lì tīngle liǎng jiā de zhǒngzhǒng zhǐdiǎn yǐhòu, què juédé bìxū yǒu xiāngdāng de jǐngjiè. Yīn wéi shì; bóshì jiā de huó duō qiǎn, zhuānmén jiā de huó duō bèi de.
(我々の知識には限りがあるから、誰しも名の知れた人の教えに耳を傾ける。しかしここに、ひとつの問題が生じる――博識家と専門家、どちらの話を聞くのがよいのか? 答えは簡単そうにみえる――どちらもよい。むろんどちらもよいのだが、私は双方からいくつかの教えを聞いた経験から、それ相応の心構えが必要だと思う。なぜなら、博識家の話は底の浅いことが多く、専門家の話は独りよがりが多いからだ。)
 
48 专门家的话多悖的事,还得加一点申说。他们的悖,未必悖在倚专家之名,来论他所专门以外的事。
Zhuānmén jiā dehuà duō bèi de shì, hái dé jiā yīdiǎn shēn shuō. Tāmen de bèi, wèibì bèi zài yǐ zhuānjiā zhī míng, lái lùn tāsuǒ zhuānmén yǐwài de shì.
(専門家が独りよがりだということには、もう少し説明が必要だろう。彼らの独善は、必ずしもその専門についての話にあるのではなく、むしろ専門家の名をいいことに、専門外まで論じるところにある。)
 
49 名声的起灭,也如光的起灭一样,起的时候,从近到远,灭的时候,远处倒还留着余光。
Míngshēng de qǐ miè, yě rú guāng de qǐ miè yīyàng, qǐ de shíhòu, cóng jìn dào yuǎn, miè de shíhòu, yuǎn chù dào hái liúzhe yú guāng
(名声の興廃は、光のそれと同じく、興るときは、近くから遠くへとひろがり、廃れるときは、かえって遠くに余光を留める。)
 
50 古人说,不读书便成愚人,那自然也不错的。然而世界却正由愚人造成,聪明人决不能支持世界,尤其是中国的聪明人。
Gǔrén shuō, bù dúshū biàn chéng yúrén, nà zìrán yě bùcuò de. Rán'ér shìjiè què zhèng yóu yúrén zàochéng, cōngmíng rén jué bùnéng zhīchí shìjiè, yóuqí shì zhōngguó de cōngmíng rén
 (古人が、書を読まねば愚人になると言ったのは、むろん誤りではない。だが世界は、まさにその愚人が造り上げたのであり、利口者は、けっして世界を支えることはできない。――なかんづく中国の利口者は。)