5月23日、須磨の灯か明石のともし鵑

 今日は5月23日、水曜日です。
 今日の季語は、
 鵑(ホトトギス)です。
 ほととぎす【杜鵑・霍公鳥・時鳥・子規・杜宇・不如帰・沓手鳥・蜀魂】
(鳴き声による名か。スは鳥を表す接尾語)
カッコウカッコウ科の鳥。カッコウに酷似するが小形。山地の樹林にすみ、自らは巣を作らず、ウグイスなどの巣に産卵し、抱卵・育雛を委ねる。鳴き声は極めて顕著で「てっぺんかけたか」「ほっちょんかけたか」などと聞え、昼夜ともに鳴く。夏鳥。古来、日本の文学、特に和歌に現れ、あやなしどり・くつてどり・うづきどり・しでのたおさ・たまむかえどり・夕影鳥・夜直鳥(ヨタダドリ)などの名がある。季・夏。万一八「暁に名告り鳴くなる―」
②<枕>(飛ぶ意から) 「とばた」(地名)にかかる。

 今日の魯迅箴言130日は、箴言47「博識家の話は底が浅く、専門家の話は独りよがり」です。この箴言には、共感するところが大です。もの知りの話は浅薄で、専門馬鹿の話は、独善的で専門以外に応用できない場合が多いからです。
 我们的知识很有限,谁都愿意听听名人的指点,但这时就来了一个问题;听博识家的话好,还是听专门家的话好呢? 解答似乎很容易;都好。自然都好;但我由历听了两家的种种指点以后,却觉得必须有相当的警戒。因为是;博识家的话多浅,专门家的话多悖的。
 Wǒmen de zhīshì hěn yǒuxiàn, shéi dōu yuànyì tīng tīng míngrén de zhǐdiǎn, dàn zhè shí jiù láile yīgè wèntí; tīng bóshì jiā dehuà hǎo, háishì tīng zhuānmén jiā dehuà hǎo ne? Jiědá sìhū hěn róngyì; dōu hǎo. Zìrán dōu hǎo; dàn wǒ yóu lì tīngle liǎng jiā de zhǒngzhǒng zhǐdiǎn yǐhòu, què juédé bìxū yǒu xiāngdāng de jǐngjiè. Yīn wéi shì; bóshì jiā dehuà duō qiǎn, zhuānmén jiā dehuà duō bèi de.
 我々の知識には限りがあるから、誰しも名の知れた人の教えに耳を傾ける。しかしここに、ひとつの問題が生じる――博識家と専門家、どちらの話を聞くのがよいのか?答えは簡単そうにみえる――どちらもよい。むろんどちらもよいのだが、私は双方からいくつかの教えを聞いた経験から、それ相応の心構えが必要だと思う。なぜなら、博識家の話は底の浅いことが多く、専門家の話は独りよがりが多いからだ。