5月19日、薔薇ちるやいちごくひたき八ツ下り三十一年

 今日は5月19日、金曜日です。女房が21日の夜に帰ってくるというので、独身生活はあと二日です。この四週間とても長く感じられました。話し相手がいないのは寂しいかぎりです。一人暮らしの人の侘しさ、寂しさを痛感しました。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言49です。
 谁都愿意听听名人的指点,但这时就来了一个问题;听博识家的话好,还是听专门家的话好呢?解答似乎很容易;都好。自然都好;但我由历听了两家的种种指点以后,却觉得必须有相当的警戒。因为是;博识家的话多浅,专门家的话多悖的。
 Shéi dōu yuànyì tīng tīng míngrén de zhǐdiǎn, dàn zhè shí jiù láile yīgè wèntí; tīng bóshì jiā dehuà hǎo, háishì tīng zhuānmén jiā dehuà hǎo ne? Jiědá sìhū hěn róngyì; dōu hǎo. Zìrán dōu hǎo; dàn wǒ yóu lì tīngle liǎng jiā de zhǒngzhǒng zhǐdiǎn yǐhòu, què juédé bìxū yǒu xiāngdāng de jǐngjiè. Yīn wéi shì; bóshì jiā dehuà duō qiǎn, zhuānmén jiā dehuà duō bèi de. 
 誰しも名の知れた人の教えに耳を傾ける。しかしここに、ひとつの問題が生じる――博識家と専門家、どちらの話を聞くのがよいのか?答えは簡単そうにみえる――どちらもよい。むろんどちらもよいのだが、私は双方からいくつかの教えを聞いた経験から、それ相応の心構えが必要だと思う。なぜなら、博識家の話は底の浅いことが多く、専門家の話は独りよがりが多いからだ。