まっすぐ生きる

 今日は5月10日、日曜日です。昨夜、青高18回生の藤川君の出版記念会があり、その帰り道、小雨がぱらつき、怪しげな雲行となっていました。夜半から激しい雨となって、朝方も雨音が聞こえていました。今は雨は止んでいますが、路面は濡れています。空にも雲が覆っていて、いつ何時、それが雨雲に変わっても不思議でないような天気です。今日は、昼に青高の高校野球春の地区予選の第1代表決定戦があるので、グラウンドの状態とこの後の天気が気になります。

 今日の子規歳時は、
 一輪の牡丹かゝやく病間哉 (1899年、明治32年5月10日)
 把栗と鼠骨が子規庵へ薄氷という名の薄紅大輪の牡丹の鉢を抱えてやってきたのは明治32年5月9日のことでした。子規は「牡丹句録」を記しましたが、11日にはことごとく散ってしまいました。「三日にして牡丹散りたる句録哉」。

 今日の魯迅箴言は、箴言67です。
 我每看运动会时,常常这样想;
  优胜者固然可敬,
  但那虽然落后而仍非跑至终点不止的竞技者,
  和见了这样竞技者而肃然不笑的看客,
  乃正是中国将来的脊梁。
 Wǒ měi kàn yùndònghuì shí, chángcháng zhèyàng xiǎng;
 yōushèng zhě gùrán kě jìng,
 dàn nà suīrán luòhòu ér réng fēi pǎo zhì zhōngdiǎn bùzhǐ de jìngjì zhě,
 hé jiànle zhèyàng jìngjì zhě ér sùrán bù xiào de kànkè,
 nǎi zhèng shì zhōngguó jiānglái de jǐliang.
「運動会を見るたびに、いつも考える。勝者はもとより敬うべきだが、遅れても絶対にゴールまで駆け抜けようとする選手と、その選手を見ながら粛然として笑わない観客、彼らこそまさに中国の将来の脊梁(せぼね)である、と。」
 運動会;运动会 yundonghui   勝者;胜者 shengzhe  選手;竞技者 jingjizhe
  観客;看客 kanke  脊梁(せぼね);脊梁 jiliang

 今日の論語は、論語6-19(巻第三 雍也第六篇 19章)です。
 子曰、人之生也直、罔之生也、幸而免、
 Zǐ yuē, rén zhī shēng yě zhí, wǎng zhī shēng yě, xìng'ér miǎn,
「子曰わく、人の生くるは直(なお)し。これを罔(し)いて生くるは、幸にして免るるなり。」(人が生きているのは、まっすぐだからだ。それをゆがめて生きているのは、まぐれで助かっているだけなのだ。)