知っているというのは、好むのに及ばない。

 今日は5月11日、月曜日です。朝7時、窓から見ると青空が広がっています。快晴に近い天気です。昨日は、朝の日課を9時に終え、10時5分過ぎには幸畑の貝さんの家につきました。奥さんの手作りの餃子をごちそうになり、土産にまでもらいました。

 今日の子規歳時は、
 筍に虫歯痛みて暮の春 (1901年、明治34年5月11日)
 明治34年の5月、子規は歯痛になやんでいました。左右の第一臼歯が痛み、かみ合わすことができず、かまずに飲み込めば胃が痛んだようでした。栄養と楽しみを一時に奪はれ、「衰弱とみに加わり昼夜悶々」したのでした。

 今日の魯迅箴言は、箴言68です。
 历史上都与看中国的灵魂,指示着将来的命运,
  只因为涂饰太厚,废话太多,所以很不容易察出底细来。
  正如通过密叶投射在莓苔上面的月光,
  只看见点点的碎影。
  但如看野史和杂记,可更容易了然了,
  因为他们究竟不必太摆史官的架子。
  Lìshǐ shàng dū yǔ kàn zhòng guó de línghún, zhǐshìzhe jiānglái de mìngyùn,
  zhǐ yīnwèi túshì tài hòu, fèihuà tài duō, suǒyǐ hěn bù róngyì chá chū dǐxì lái.
  Zhèngrú tōngguò mì yè tóushè zài méi tái shàngmiàn de yuèguāng,
  zhǐ kànjiàn diǎndiǎn de suì yǐng.
  Dàn rú kàn yěshǐ hé zájì, kě gēng róng yì liǎo ránle,
  yīnwèi tāmen jiùjìng bùbì tài bǎi shǐguān de jiàzi.
「歴史書には中国の魂が記してあり、将来の運命を指し示しているが、ただ分厚い修飾や無駄な話が多すぎるため、真相が見えづらい。まるで茂みを通して苔の地面に射し込む月光のように、砕け散った明かりが点々と見えるだけである。ところが民間の史書や雑記を読むと、かえってわかりやすい。というのも、その書き手たちは結局、さほど士官ぶって書く必要はなかったからだ。」

 今日の論語は、6-20(巻第三 雍也第六篇 20章)です。
 子曰、知之者不如好之者、好之者不如樂之者、
 Zǐ yuē, zhīzhī zhě bùrú hǎo zhī zhě, hǎo zhī zhě bùrú lè zhī zhě,
「子曰わく、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」(子曰,知之者不如好者,好之者不如乐之者)