6月28日、日曜日です

 6月28日、6月最後の日曜日となりました。昨日は、ほとんど一日中雨でしたが。バスで駅へ行き、4時45分発の奥羽本線弘前まで電車に乗り、そこから弘南鉄道で平賀まで行ってきました。一時間弱で平賀の駅に着きましたが、新青森でたくさん乗客が乗り込み立ったまま弘前で降りた人もかなりおりました。弘南鉄道は乗客も少なく、市街をはなれると淡々と田園のなかを走り、13分ほどで平賀へ着いたのでした。年に二度、さなぶりと忘年会の時期に集まる茶話会もすでに25年も続いています。半年ぶりで会う男4人、女4人の仲間は、それぞれの人生をかかえ、それぞれの思いを抱きながら、ときには哭き、ときには笑いながら、多くのときには互いに励まし合って、生きてきた仲間なのでした。帰りは、8時半に会場の友人宅をでて、弘前駅まで送ってもらい、新青森駅からタクシーで家に戻りました。雨の中、夕方4時に家を出て、雨のあがった夜の10時に戻るという、6時間の小さな旅とささやかな宴でした。前々夜の20年前の友人の電話とそれに続く昨夜の古い友人たちの顔が重なって、混濁した意識のなか長い夜に同じような夢を何度もみながら朝を迎えたのでした。
 重い気持ちを引きずっていたせいか、今朝は8時になって漸く寝床を離れることができました。幸いなことに雨が上がっています。今日は午後から川柳陽の会の例会です。懇親会には出ないで、まっすぐ戻ってくるつもりです。

 今日の子規歳時は、
 為山画いて皆が讃する扇哉 (1899年、明治32年6月28)
 子規は少年のころから絵を好んだようです。12歳の時、画手本を筆写した画帳が残っています。はじめ日本画に心酔したようですが、為山や不折の感かをうけ西洋画崇拝に転じました。子規の俳句の写生論もその絵画から出発したのでした。

 魯迅封建制打破のために、論語もまた標的としたと、昨日、電車の中で論語に関する本で読みましたが、今日の魯迅箴言は、箴言116です。
 选本所显示的,往往并非作者的特色,倒是选者的眼光。
 眼光愈锐利,见识愈深广,选本固然愈准确,
 但可惜的是大抵眼光如豆,抹杀了作者真相的居多,
 这才是一个「文人浩劫」。
 Xuǎn běn suǒ xiǎnshì de, wǎngwǎng bìngfēi zuòzhě de tèsè,
 dǎoshì xuǎn zhě de yǎnguāng.
 Yǎnguāng yù ruìlì, jiànshì yù shēnguǎng, xuǎn běn gùrán yù zhǔnquè,
 dàn kěxí de shì dàdǐ yǎnguāng rú dòu, mǒshāle zuòzhě zhēnxiàng de jūduō,
 zhè cái shì yīgè `wénrén hàojié'.
「選集がはっきり示すところは、往々にして作者の持ち味ではなく、むしろ選者の眼光なのである。眼光が鋭いほど、見識が深く広いほど、選集はいよいよ適確になるのだ。だが、惜しむらくは、たいていのその眼光は豆粒ほどに小さく、作者の真の姿を抹殺していまうことが多いのだ。これぞまさに、「文人の大厄」なのだ。」
 選集;选本 xuanben はっきり示す;显示 xianshi 持ち味(特色);特色 tese 
  選者;选者 xuanzhe 眼光;眼光 yanguang 鋭利;锐利 ruili 見識;见识 jianshi 
  深く広い;深广 shenguang  適確;准确 zhunque 豆粒のごとく;如豆 rudou 
  抹殺;抹杀 mosha 真の姿;真相 zhenxiang 占めることが多い;居多 juduo 
  大厄(大災害);浩劫 haojie

 今日の論語は、論語8-1(論語巻第四 泰伯第八篇 1章)です。
 子曰、泰伯可謂至德也已矣、三以天下譲、民無得而稱焉、
 Zǐ yuē, tài bó kěwèi zhì dé yě yǐ yǐ, sān yǐ tiānxià ràng,
 mín wú dé ér chēng yān,
「子曰わく、泰伯は其れ至徳と謂うべきのみ。三たび天下を以て譲る。民得て称すること無し。」(孔子がいわれた。「泰伯こそは最高の徳だといって宜しかろう。三度とも天下を譲ったことになるが、それも人にわからないやり方であったので人民はそれをたたえることさえできなかったのだ」と。)(子曰,泰伯可谓至德也矣,三以天下让,民无得而称焉,)