9月10日、木曜日です。

 9月10日、木曜日です。
 赤目エコリゾートゲストハウスを9時に出発して、近鉄上本町まで電車に乗り、そこからリムジンバスで伊丹空港に向かいます。
 車谷長吉さんの芥川賞小説の「赤目四十八滝心中」のあの赤目の森に泊まってみて、日本のNPOやナショナルトラスト運動の原点をみた感じがしました。エコリゾートとは現世の楽園で、テレビやラジオの騒音はなく、あるのは闇夜と虫たちと野鳥や蛙の啼く音だけでした。夏に冷房なく、冬は薪ストーブと薪オンドルなのです。徹底した省電力に加え、ソーラーと小風力さえあれば完璧だと思いました。

 今日の子規歳時は、
 案山子ものいはば猶さびしいそ秋の暮 (1891年、明治24年9月10日)
 河之内の滝見物に行ったとき、子規は鎌倉堂という野中の小社の柱に矢立ての筆でこの句を書きつけた。この堂はその後取り壊され、落書きの柱は瓦屋の燃料に売られたのでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言61です。
 谣言这东西,却确是造谣者本心所希望的事实,
 我们可以借此看看一部分人的思想和行为。
 Yáoyán zhè dōngxī, què què shì zàoyáo zhě běn xīn suǒ xīwàng de shìshí,
 wǒmen kěyǐ jiè cǐ kàn kàn yībùfèn rén de sīxiǎng hé xíngwéi.
「謡言(デマ)というものは、たしかに(デマをとばす)張本人が心底から願っている事実だから、我々はそこから、一部の人間の思想と行為を見てとれるのだ。」
 デマ;谣言 yaoyan もの;东西 dongxi 決まって;却 que 確かに;确 que
 デマをとばす人間;造谣者 zaoyaozhe 希望;希望 xiwang 事実;事实 shishi
 一部の人間;一部分人 yibufenren 思想;思想 sixiang 行為;行为 xingwei

 今日の論語一日一章は、論語10-22(論語巻第五 郷黨第十篇 22章)です。
 升車、必正立執綏、車中不内顧、不疾言、不親指、
 Shēng chē, bì zhèng lì zhí suī, chē zhōng bù nèi gù, bù jí yán, bù qīnzhǐ,
 升车,比正立执绥,车中不内顾,不疾言,不亲指,
「車に升(のぼ)りては、必らず正しく立ちて綏(すい)を執る。車の中にして内顧せず、疾言せず、親指せず。」
(車に乗られるときには、必らず直立してすがり綱をにぎられた。車の中ではうしろをふりむかず、大声のおしゃべりをせず、直接に指さされなかった。)